きつねたぬき

「ごめんね、ツネ君。あたし、本当は男だったの」
 今年もあと少し。そんな大晦日、彼女からかかってきた電話の第一声がそれってどうですか。
「いや、おまえっ……ついてなかったじゃないか!?」
「はるな愛だって、ついてないわよ!!」
「いつ確認したんだよ、お前は!」
 そもそも声そんな低くないだろ!?
「だって、椿姫彩菜も低くないじゃない!」
 あたしもう耐えられないの、と言ってから、彼女は告げる。
「トキ君。さようなら、今までありがとう」
 おれの耳に残ったのは、つーつーつーという電話の切れた音。
「っ、おい待てよ、ちょっと切るなよ!」
 おれはコートを掴んで、店の外へと飛び出した。

 小さな二階建ての古ぼけたアパートまで来て、彼女の部屋に向かった。途中合鍵を出して、辿りついてすぐ鍵穴に差し込む。かすかな音を立てて鍵が開いたのが分かった途端、ノブを引っ張った。
「ミドリ!」
 玄関を入ると、そのままキッチンダイニング。そこを抜けると、六畳の和室がある。その天井からぶら下がってるのは……。
「っ、ミドリ!!」
 それにかけより、抱き締めた。首を吊るなんて、どうか…ん? ちょっと、まて。
「…………ミドリ」
「はぁーい!」
 元気な声が後ろからした。俺の腕の中のものは、しゅうしゅう音を立てながらしぼんでいく。おれはゆっくり振り返った。後ろではにこにこと嬉しそうに笑う彼女がいた。
「ミドリっ!! このバカ!!!」
 何をしてくれたんだ、こいつは。おれをだまして呼びつけて。おれはさっきまで上司のご機嫌伺いしてたんだぞ!? 大晦日のひとりは寂しい、とか言いやがってあのおやじ、離婚されたの自分のせいじゃねぇかよ。
 いやいや上司の話はいい。今はこいつをどうにかしないと。
「あのですね、ミドリさん。そこちょっと座りなさい」
「嫌です」
 嫌って言うな、人を散々驚かしておいて。彼女は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、キッチンへ向かう。
「だって、これぐらいしないと、トキ君はあたしと年越ししてくれないでしょ?」
 二人で『紅白』観て『行く年来る年』観てそして年越し蕎麦を食べるの、と楽しそうだ。おれはそれどころじゃないんですけど、ね。まるまるとしたやかんに水を汲んで、ガスレンジにかけている。もう怒る気力もないので、小さなこたつに足を入れた。ついでに手も突っ込んで温まってみる。
「なんで、おれまた騙されちゃったんだろうな……」
 ぽつり、と呟いた。そうなんだよな、騙されたんだよ、また。とんだ狸だよ……本当に。
 彼女は本当に、騙すのが大好きだ。そうしてこう呼びつけられるんだよ。早朝四時とか、真夜中一時とか。
「あたしが楽しいから」
 なんで、トキ君はいっつも騙されてくれるんだろうねー、と軽く言わないでもらえますかね、ミドリさん。独り言に返事もしなくていいって。
 しゅんしゅん音を立てて湯気を吐いているやかんをかわりにうらめしくにらんだ。
「そうそう、トキ君どれがいい?」
「どれが良いって、カップ麺しかないじゃんか」
 しかし綺麗に積まれたそれを見て、俺はにやりと笑った。


 彼女は不満そうだった。
「どうして、年越し蕎麦を食べようって言ってるのに、『赤いきつね』を選ぶかなー、トキ君は」
 そりゃ悟ってくれ、おれのささやかな抵抗だよ。
 そう思いながら、時計の秒針が進むのを見ている。まだ、一分しかたってない。彼女も待つのが苦痛になったのだろう、冷蔵庫の方へ歩いていき、扉を開けた。
「トキ君、ビール飲む?」
 おれ、車なんだけど、と思いつつも、こうなったら朝帰りコースだ、と腹を決めて、一本持ってきてもらうこととする。朝帰り、って女の子じゃないんだけどさ。
 テレビでは、相も変わらず楽しそうに歌手が歌っている。
「あーあたしの、もう時間だ」
 嬉しそうに言いながら彼女が開ける蓋のべりべりという音を聞く。おれはあと二分、うどんだから。その二分、恨めしい。
 こたつのうえに顔を乗せて、テレビを見た。ちょうど、氷川きよしが歌ってる。なんで着物じゃないんだろう、演歌なのに。
 結局彼女と年越しすることになって、良かったのか悪かったのか。まあいいかと思う。てっぺんが光るおやじと一緒に年越すより。
 二分たって、おれも蓋をあける。べりべり楽しい。画面は、いつのまにか行く年来る年になっていた。彼女も一生懸命見てる。おれ呼びつけた意義はあったのかよ。隣にいるだけで良いのか。
 ずるずる、音を立てて、麺をすすった。あげは最後。その横で、彼女はてんぷらをかじってる。彼女は先にてんぷら派。まあそんな意見の違いで、ケンカになったことも、ありますけどね。今はまあ個性として互いに受け入れてる。
 おれがあげに突入して、彼女が麺に入った。あー、除夜の鐘鳴り出した。全部で百七回と一回だっけ。
「煩悩が、一個二個と払われていってる……こともないよねー」
 ずるるー、と音を立てながら彼女がすする。おれがあいずちを打つ前に、ガチと音がした。お、やっと来たか。
「なっ、なにこれ!?」
 口から出したのは、指輪。
「ちょっとこれなに、なんか混入されてるー!!」
 おれは思わず吹き出した。ポケットからケースを取り出して、開けた。ゆびわ、ゆびわがっ! と叫ぶ彼女に、その中のものを見せる。
「大丈夫、イミテーションだから」
 その言葉に、じとりとにらんできた。。おお、怖。でもケースの中の指輪を彼女の眼前に差し出した。
 さあ、お決まりの文句だ。
「綿貫ミドリさん、結婚してください」
 まんまるに目を見開いてから、ふっと伏せた。どっちだ、その反応!?
「……いっつもトキ君には、驚かされるんだね」
 返ってきたのは、イエスでもノーでもなかった。とりあえずホッとした。
 いつ入れたの? と聞くのは、イミテーションの指輪のことだろう。さっきビール取りに行ったとき、と言うとうなだれている。
「トキ君を驚かそうとしてドッキリしかけても、やっぱりいざという時は全部トキ君に持ってかれちゃう」
 ため息をついてから、手に持っていたイミテーションを置いてこっちを見る。笑って返事が返ってきた。
「はい、赤井トキツネ君」
 それから、左手を差し出した。おれは心得たように、ケースから指輪をはずして、彼女の薬指にはめた。古ぼけた電灯の光を受けて、キラリと小さく光った。
「一生、こうやって騙し騙されいけば良いんじゃないかな」
 声をかけた言葉に、くすっと笑いをもらした。そうだね、と同意が返ってくる。
「ありがとう、嬉しかった」
 こちらに向けた笑顔が眩しくて、なんとなく恥ずかしかったおれは、彼女の頭をくしゃくしゃになぜた。


 こののち、結婚式でまたドッキリを仕掛けられてしまうのだが、それはまた別のお話。

BOOK  蒼傘屋