(かね) の鳴る街

 また、鐘が鳴った。
 わたしは調べを奏でていた手を止めて、窓から外を眺めた。
そこからは、高い塔の屋上に付けられた鐘が見える。先ほど鳴ったばかりだ。ゆらゆらとまだ揺らめいている。
 ピアノの鍵盤に置いていた手を、膝へと置きなおした。ため息を吐く。
「……仕事だわ」
「またか? 最近、よく鐘鳴らないか?」
 拗ねるようにそう言って近づいてきた男に、唇をよせた。
「そんなこと言わないで。亡くなった方に失礼よ」
 シンプルな白いドレスの上に、黒いカーディガンを羽織り、扉へと向う。
「じゃあ、行ってくるわね」
「ああ、夕飯つくって待ってる」
 肩を軽く抱きあってから、わたしは外へと出た。


 この街の中央には、大きな塔があり、その屋上にはこれまた大きな鐘がつけられている。それは死者が出るたび、鳴らされるのだ。一部の住人には“弔いの鐘”とも呼ばれている。
 わたしはその弔いの調べを奏でに、鐘が鳴るたびその塔へと向う。確たる宗教もないこの街では弔いには歌を歌う。そして火葬されるのだ。
 ――――というのは、表向きに過ぎない。
 確かに人が亡くなった時も鳴らされ、その時わたしはピアノを奏でるだけだ。
 けれど、この鐘は死者がいなくても鳴らされる。そのことを知る者はそうそういない。
 なぜなら、死者がすぐさま転がり出るからだ。
 そしてわたしはその鐘が鳴ると、死者を転がり出す仕事をしなければなくなるのだった。


 キィと音を立てて、塔の扉を開いた。中は薄暗い。けれど、遠くに白い服を着た男ともう一人だれかが立っているのが分かった。どう考えたって、今から葬儀を始める様子ではない。
 わたしはため息を吐いてから口を開いた。
雇主(マスター)、次のお客様?」
「ああ、依頼だ」
 しゃがれた声が返ってくる。近づくと、もう一人のだれかが男だということが分かった。
「あの、本当にあいつを殺してもらえるのか?」
「――依頼を受けた限りは、精一杯仕事をするのが方針(ポリシー)ですわ」
 できるかぎりの甘い声。別人を装うのだ。正体を知られてはいけない。
 向こうはおそるおそる口を開いた。
「では」
 静かに告げられた名は、とても聞き覚えのある名だった。


 外は雨になっていた。その中を走った。白いドレスの裾が泥で茶色く染まろうとも、走った。走らずにはいられなかった。
 夕飯を用意して待ってる。そう言った彼の笑顔が浮かんでくる。
 あの人を失う。そう考えただけで、目から涙が落ちた。口の中にも忍び込み、塩辛さで存在を伝えた。
 そのまま部屋へと駆け込む。
「お帰り、葬儀の打ち合わせはもう終わったのかい?」
 優しくそう問いかけた彼に、わたしは抱きついた。そのまま唇を寄せる。
 彼はそれを受け止めてくれた。髪の毛をゆっくりとすいてくる。その湿った髪が天気を伝えた。
「雨が降ってるの? 無理して帰ってこなくてもよかったんだよ」
 だって、あなたが夕飯を用意して待ってるって言ってくれたから。
 その言葉を飲み込んで、違う言葉を吐いた。
「――逃げて。ここから、いますぐ、逃げて」
「え、どういう」
「詳しいことは言えない。でも逃げなくちゃ、あなたの命が」
 言葉を切った。かわりに頬に涙が伝った。彼は優しくその後を拭った。
「それは警告? それとも脅し?」
 前者だと伝えると、彼はわたしを上から下ろして立ち上がった。
「殺されるかもしれないから、君はぼくに逃げてほしいんだね?」
 一度だけ、首をたてに振った。
「……君と離れて生きよ、と?」
 かぶさるように抱きしめられる。なにも言えなかった。そのかわり、彼の背に回した手に、力を込めた。
「――――あなたが死ぬより、いいわ」
 ゆっくり吐いた言葉が、彼の手を背から肩へと移らせた。向かい合うかたちになる。
「分かった」
 肩からぬくもりが消えていく。彼はその手で、旅行鞄へと身の回りのものをつめた。
「じゃあ、いくよ」
 彼は振り返った。その顔を見て、涙がまたこぼれた。かけよって、塩辛く染まった唇を、彼のそれに近づける。やさしい感触があった。
 名残惜しげに、離れる。何巡もした後、冷たい息と共に口に出した。
「さよう、なら」
 彼はうなずいた。そのまま、方向を変え、出て行く。
 その小さくなっていく背中を見ながら、隠し持っていた短剣を取り出した。
 すでに鐘が鳴った。すなわち、明日には葬儀が行われる。そのために死体がなくてはいけない。
 いつもは誰かに向けるそれを、自分の胸に当てた。
「っ、ぐ……」
 そのままのめりこませる。苦しみの声がもれた。床に膝をつき、ついで身体全体が横たわった。
 木の板の床が、緋色に染まっていった。
 窓の外で、激しさを増した雨が、降り続いた。




 白い服を着た男――鐘守は、その庭にある墓地へ箒を持って入った。今の季節は、落ち葉が多い。毎日掃除を行わなければいけない。
 そう思いながら、ふとある男に目が行く。墓地は解放しているので、だれがいてもおかしくないのだが、その男が立っている場所が不自然だった。
 そこは、一人の女の墓の前だった。生まれたばかりの頃、鐘のある塔の前に捨てられ、鐘守が育てた女だった。長じてからは、裏の仕事も手伝わさせていた。それが数年前、ある仕事の日に自ら命を絶った。
 そんな彼女の墓参りに来る人間など、この街にはいないはずだった。実際、今まで一度もなかった。
 視線を感じたのか、こちらを振り向いた。しゃがれた声であいさつをしたが、彼は頭を少し下げただけだった。
 そのかわり、口を開いた。
「ここの鐘守の方ですね?」
 そうじゃが、と返すと、その表情が冷たくなった。笑みを浮かべている。だけど、背筋が粟立つのを覚えた。
 彼は言う。
彼女を殺した人(ぼくを殺すよう依頼した人)は、だれですか?」
 鐘守は、感じた。

 ああ、また鐘が鳴る。

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