かたかたと小さな音を立てながら、馬車は進んでいく。御者席のとなりに陣取って手慰みにと毛糸で遊んでいると、隣で馬を操る生地屋の息子が言う。
「二年ぶりだね、領地に赴くの」
「――去年は仕事が入って、いけなかったのよ」
君は空いてたのにね、とからかうように言うと、うるさいと頭を軽く叩かれた。
「ああ、見えてきたぞ」
「今年も豊作だねー」
黄金色の畑が見えてくる。その奥に立つ建物は、一昨年よりも一つ数を増していた。それを見て、私は思わずつばを飲み込んだ。お嬢様。そう呼んでいた一人の少女がここには住んでいる。
こちらを向いてややふくよかな女性が走り寄ってくる。
「領主さまっ! お久しぶりでございます」
「おかみさん、おひさしぶり」
元気だった? と軽く声をかけると、ありがたいお言葉です、と涙するふりをする。それを見かけた子どもが集まってきたので、手にしていた箱を開ける。中には、道々手慰みに編んでいたものが入っている。毎年、それを上げるのがならわしのようになっていた。
「ありがとうごじゃいます、りょうしゅしゃま」
舌足らずに言う子どもたちの頭を撫でながら、あの人は? とおかみさんに聞く。
「あちらにおられます」
やはり一番新しい家を指差された。
ノックすると扉が開いて、中から女性が出てきた。
「……っ、ニード」
二年前私を呼んでいた名前を呼びそうになって、あわてて口を押さえていた。改めて、領主さまと呼ばれた。
「どうぞ、お入りください」
椅子を勧められて、そこに座ると、彼女はお茶を淹れてくれた。指が貴族の手から農婦の手へと変化している。荒れてあかぎれも出来た手。
「ここでの生活はどう?」
軽く聞いてみる。彼女は立ったまま、返事をする。
「……正直を申せば、最初は辛かったです。何もかも自分で行わなければいけないですし、知らないことばかりで戸惑うばかりで」
それでも私は幸せを掴んだと思っております、と笑った。
「あのまま、お嬢様としてぬくぬくと育ち、ベリル子伯様と結婚していたなら、私は飼い殺される籠の鳥となっていましたでしょう。本当に、領主さまに感謝しております」
あの時彼女が下した決定が幸せを指していて、私はほっとした。背中を押しても良かったかどうか、とても不安だった。
「ねぇ、マシュー……は?」
領民を様付けするのはおかしいのに途中気付いて、口ごもりつつ聞くと、畑で収穫に借り出されています、と応じられた。彼もなじんでいるらしい。
「彼はここにいることを了承してくれたの?」
「はい、領主さまには本当に夫婦ふたり感謝しています。彼には実家などという行く場所はなく、逃げてもそれこそ都の労働者階級の街に隠れ住むことになっていただろう、と言っております」
ふたりが幸せならいい、と思いつつ、鞄から一通の手紙を出した。
「私がここに来たのは、あなたたちにこれを渡すため」
あけて、と声をかけると、彼女は戸惑った。正直無理も無いだろう、それは彼女の家独特の封筒、そして父親からの手紙であることを示す封蝋があったのだから。私は無言で待つ。そうすると、彼女はおずおずと手に取った。
中の便箋を取り出した。一緒になにか書類が入っている。
「……『わが娘へ。元気にしてるか……』」
彼女は小さな声で手紙を朗読し始めた。
わが娘へ
元気にしてるか。わしはおまえが出て行ったと聞いたとき、怒りより何より悲しかったということを伝えておこう。確かに、ベリル子伯リスト様との結婚を勧めてはいたが、お前も拒否する権利があったのだ。お前の意向を聞かず進めた罰だろうか、と考えておる。お前の母ともそう話しておった。
ところでもう家へは戻ってこぬか。聞けばマシュー殿は、いやしからぬ身分という。お前の婿養子に迎えても差し支えない、ということが分かった。労働階級の生活は辛かろう、戻っておいで。
最後まで読み上げてから、一緒に入っていた書類を取り出した。
「……こういいつつも、お父様は帰ってこないのを分かっているのですね」
それにうなずく。入っていた書類は勘当の書類であった。
この書類を役所に提出すれば、家名を失う。そうしてまた新しく労働階級に籍を得ることも可能だ。
「帰る気は?」
「ないです」
彼女は頭を下げてから、隣室へ行き手に何かを抱えて帰ってきた。
「私はもう自分のように、身分に振り回される生活を彼女にさせたくないんです」
彼女が抱えていたのは、赤ん坊だった。すやすやと寝息を立てている。
「……この子は」
「モモ、と申します」
その言葉に目を見張ると、彼女は笑った。
「領主さまが下さった私の“無敵”の花を娘にも頂きました」
幸せになってほしいから、と続ける彼女は本当に幸せそうだった。
いつだって誰だって幸せを願う、それは変わらないのだと思った。
彼女は農婦として働いている。前より生活は質素になった。それでも幸せに満ちている。
私はそれを見ることが出来た。嬉しくて、生地屋の息子の馬車に乗り込むときでさえ、まだ笑いが止まらなかった。
蒼傘屋