あたしは、ずっと見ていたパソコンから目を離して、うぅんと伸びをした。時計をみる
と、六時を少しすぎた頃だった。外はまだ明るい。もうこんな時間になっていたのかと、首を回しながら考えた。
「先輩、今日飲みに行きません?」
向かいに座る、ワンコっぽい後輩が、キラキラした目をしながら、尋ねてきた。男性というにはまだ甘い顔をしたその男子は、そこそこ人気があるようだが、
何故か三つも年上のあたしと食事に行きたがる。甘い、あたしを釣ろうっていうの。
それに、今日は特にダメだ。あたしは、卓上のカレンダーを見ながら、返す。
「ダメ、今日は大事な予定があるの」
「えぇっ! もしかして、オトコですか?」
それに答えると思っているところが甘い。
「秘密」
にっこり笑ってから、もう一度カレンダーに目を移す。
八月三十一日。
学生には、夏休み最終日というこの日。
年に一度の、あの会が始まったのは、五年前、あたしが入社して初めての夏だった。
☆
机上に頭を乗せて、うなだれていた。暑くて、集中なんてできない。節電とか言って、中途半端に入ったクーラーなんて、あってないようなものだ。
「いっそのこと、帰ろうかな……」
仕事とは名ばかりの雑用、それでも上司から頼まれた仕事は、できれば今日中に終わらせたい。
そう思いながらも、集中できずに、時間だけが無駄にすぎていく。
「何、まだ終わってないの?」
横に陰が差したかと思うと、教育係の先輩が横に立っていた。すらっとした女性で、バリバリのキャリアウーマンといった風の先輩だ。
「はい……」
ふぅと、ため息をつかれた。小さく、仕方がないわね、と呟いている。
「今日あなた、この後何か予定ある?」
「いえ、ないですけど」
あったら、無理矢理にでも終わらせてる。
「そう、じゃあ終わったら、ちょっと付き合いなさい」
そういって、机に置いてあるファイルを一つ、とった。
怪訝そうな顔をしていたのだろう、苦笑いされる。
「手伝ってあげるから、ね?」
あたしは、渋々手を動かした。
何とか仕事を終わらせて、先輩の一歩後ろを歩くあたしは、再び怪訝そうな顔をした。
付き合いなさい、と言うからには、どこかに飲みに行くのだと思っていたのだが。
「スーパー……」
夜中でも開いているのが売りのそのスーパーマーケットは、煌々と看板が輝いていた。
「え、もしかして宅飲みですか?」
料理、苦手なんですけど、と申告する間もなく、さっさと慣れた様子で、カゴを片手に中へと入っていく。
「あ、ナス安い」
一袋三本入りのナスを手に取り、カゴへと入れている。あたしがそんなものを買ったら、使いきれずに野菜室でしなしなとなってしまうだろう。
「トマト缶あるし、あとは……」
ぶつぶつ言いながら、陳列棚の間をすり抜けていく彼女に、必死についていくと、アルコール類の棚に到達した。そこで初めて、彼女は振り返る。
「あなた、何がいい?」
「えっとぉ、甘いのが……」
辛い日本酒やビールは実は苦手で、と続ける。確かに乾杯のビールはあまり減ってないわね、と返された。
「じゃあ、カクテルでいい?」
返事を待たずに、カゴの中に数本、缶が放り込まれる。同じように、ビールが追加される。ラベルを見ると、辛口と文字が踊っていた。男らしい。
そのまま、会計を済ますと、彼女はすぐ近くのマンションへとあたしを案内する。オートロックで外観もきれいだ。
「いいところに、住んでるんですね」
「そう? 駅から遠いから、そこまで高くないわよ?」
会社には、徒歩で行ける範囲なのだから、それで事足りるのだろう。彼女の部屋は四階、右端だった。日当たりが良さそうで、うらやましい。
「お邪魔します……」
初めてのお宅訪問だった。先輩らしい、物が少なくてきれいに掃除してある。これなら、突然のお客でも大丈夫だな、とぐちゃぐちゃの自分の部屋を思い浮か
べた。
「ちょっと、座ってて」
アルコールばかりが入った袋から、ナスを取り出すと、残りをあたしに放る。
リビング代わりの部屋に置いてあったローテーブルに缶を並べた。キッチンに入っていった先輩の様子を見に、顔を出す。
「……先輩、料理も出来るんですね」
彼女は、慣れた手つきでナスを輪切りにし、フライパンで炒めていた。横では、大きめの鍋でお湯が沸かされている。
いつの間にか、タマネギのみじん切りとニンニクや唐辛子諸々もボウルの中で、スタンバイしていた。
「何、あなた自炊してないの?」
返す言葉もなく、黙ってしまうと、彼女が続ける。
「駄目よ、いざ結婚っていう時、苦労するし、外食ばかりだと、費用もかさむでしょ」
「その割に彼氏いないんですよね、先輩」
「うるさいわね」
ナスを一旦取り出して、代わりにタマネギや唐辛子達がフライパンに投入される。
「ちょっと、そこのスパゲッティ、半分に折って鍋に入れてくれる?」
指差された方向を見ると、二束置いてある。
これぐらいなら、と鍋の蓋を開け、難なく投入すると、意外に出来るじゃない、と言われた。
「いや、これぐらいは出来ますよ!」
ふふっと笑う彼女が、ナスを加えたフライパンにトマト缶を投入した。ソースになるのだろう。
茹であがったスパゲッティを水切りし、ソースを作っているフライパンに加える。軽く混ぜ合わされた後に、白い皿に盛られた。
「ごめん、一皿持っていって」
渡されたスパゲッティを、机に運ぶと、後から先輩もやってくる。二人でローテーブルを挟む形で、腰を下ろした。
「じゃあ、とりあえず乾杯ね」
彼女はビールのプルタブを引き上げて、こちらに突き出す。同じようにすると、うれしそうに笑みを浮かべた。
缶に口を付けてから、フォークを手に取ったあたしと逆に、先輩は立ち上がって、ベランダ側の窓のカーテンを大きく、開いた。電気も消されて、代わりに電
気スタンドが灯る。
「見てて、ここ隠れスポットだから」
いたずらっぽく笑った彼女の向こうで、突如花が咲いた。
「花火!?」
「そう、私の部屋からちょうどよく見えるのよね」
仕事に追われて、河川敷の花火大会が今日だったことを、すっかり忘れていた。いつもは大混雑する河原で見る花火がこんなに落ち着いて見れるなんて。
「こんなの、毎年見てるんですか、いいなぁ……」
次々と打ち上げられる花火から目が離せない。いつもは、前に立った人の頭で見切れるのに、今日は綺麗に見えている。
「一人で、だけどね」
今年は久しぶりに新人が入ってきたから、是非見せてあげようと思って、と先輩。
「スパゲッティもどうぞ」
言われて、フォークを持ったままの自分に気づく。あわてて、麺を巻き付けて口に運ぶ、と。
「美味しいっ!」
下手な店で食べるより美味しいんじゃないかと思わせられるぐらいだった。唐辛子がいいアクセントになっていて、美味しい。
「料理できるっていいですね」
「まだまだ、間に合うわよ。今から始めたらいいじゃない」
そんな言葉に苦笑を返しながら、缶にも口を付ける。
「じゃあ、先輩が教えてください」
「嫌。何でそこまで新人の面倒をみなきゃいけないの」
色とりどりに花開く花火は、形をかえて空へ打ち上げられる。それに飽きることがない。
「先輩、来年も見に来ていいですか」
さらっと出てしまった言葉に、図々しかったかなと思いつつ、反応を待つ。
「いいわよ、引っ越してなければね」
彼女は笑いながら、答えてくれた。
☆
それから、再び三度とお邪魔していて、今年で五年目になる。まだ女子会、という言葉が流行する前のことだ。
仕事の出来るちょっと近寄り難かった先輩は、年に一度スーパーの袋を片手にやってくるあたしを、快く受け入れてくれる。
袋の中身は、毎年同じ。ナスとトマト缶、そして辛いビールと甘いカクテル。
マンションのエントランスで、部屋番号を打ち込み、コールボタンを押す。
「先輩、こんばんはー! 今年も、飲みましょう?」
いつもなら、快い返事があるはずなのに、苦笑と共に返ってきた。
『今年は、自粛ブームで、花火大会は中止よ?』
知らなかった。あたしは、思わず頭を掻く。その姿を見て、笑えてきたのか、先輩は言う。
『いいわよ、スパゲッティぐらいなら作ってあげるから、上がりなさい』
たまには、こういう夏の過ごし方もいいかもね、と続いた。
やった、と思わずガッツポーズしながら、あたしはロックが外された自動扉をくぐった。
End
蒼傘屋