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6:50
 待ち合わせの七時まで、あと十分。蝉がうるさく鳴きわめく中、わたしは浴衣のすそを整えながら、周りを見回した。どこもかもが、浴衣のカップルや家族連れでいっぱいだ。皆きらきらした表情で、右から左へと流れていく。
 花火大会なんて盛り上がらないだろう、なんて思っていたわたしの予想を裏切った人の多さだった。毎年これなら、町役場が気負うのも分かる気がした。とくに夏休みの最終日の今日は、気合が入っているらしい。これを見おさめて夏を終わらせようなんて考える人が多いとにらんでいるそうだ。
 そんなことを考えながら、わたしは待っていた。高校に入って最初に声をかけてきた彼を。


『かわいい、テディベアのストラップだね』
 入学式の前に入れられた教室で、暇つぶしにいじっていた携帯についたクマを指さしながら、彼は言った。突然声をかけられびっくりしたわたしは、どもりながら返す。
『そ、そう? ありがとう……』
『手作りっぽいけど、作ったの?』
 その質問にうなずくと、すごい器用なんだね、と言ってくれた。うれしくて、思わずそのクマを指ではじいた。
『俺、妹がいるんだけど、テディベア大好きなんだよね。だから、目についたんだよね』
『本当? じゃあ良かったら、これ……』
 携帯から外して渡すと、いいの? ありがとう、と受け取ってくれた。押しつけがましいかなと思ったけど、ほっとした。

7:00
 待ち合わせの時間になった。彼はまだ来ない。まあ、少しは遅れるだろうと思ってたから、慌てはしない。だって、彼が時間通りに来たことなんてないから。今日はもう少し涼しくなっている。屋外に立っているのも、苦じゃない。
 一組のカップルが目の前を通った。ペアリングをはめた指が互いに絡み合っていて、少しうらやましかった。


 妹さんに、と渡したテディベアのストラップは、ほどなくして彼自身の携帯にぶら下がっているのを見た。思わず凝視してしまっていたみたい。その視線に気づいた彼は、照れくさそうに笑って、わたしの耳に口を寄せた。
『だって、可愛いから。君の作ったもの、持っていたいし』
 思わず彼の顔を見ると、そういうところも可愛いんだよ、と笑みを浮かべられた。顔が火照るのが分かる。ざわめく教室の音が遠くなるような気がした。彼と向かい合って立っていたわたしの手に触れられる。
 初めて見た時から気になっていた、だなんて囁かれたら、どうしていいのか分からなかった。
 わたしの携帯についていたおそろいに近いテディベアが揺れた。

7:05
 こんなに小さい遅刻なんてないけれど、毎回不安になっていた。彼は来てくれるだろうか、もうわたしのことは好きじゃないだなんて、態度で示されないだろうか、と。
 だけど今わたしの心は穏やかだった。彼は、まだ来ないはず。だっていつも二十分は遅れてくるもの。待つのはなれてる。近くの木に止まった蝉を眺めながら、暇をつぶす。


 一番初めの待ち合わせの場所も、この場所だった。何と書いてあるか分からない石碑の前。十時と言っていたのに、彼が来たのは二十分も後だった。
 怒るわけでもなく、泣くわけでもなく、ほっとしたわたしに、彼はごめんと手を合わせた。
『家を出ようとしたら、妹に引きとめられてさ。しつこくどこ行くのか聞かれて、焦ったよ』
『いいよ。来てくれたんだもん』
 笑いかけると、彼は自分の頭をくしゃくしゃとかきながら、そういうところが可愛いんだって、と言われて、思わず赤くなる。
 彼はそんなわたしの手を自然にとって、いこうか、って笑みを浮かべていた。

7:15
 あれから、何度も待ち合わせに遅れてきた彼。今回だってそうなんだと信じたい。まだ七時を十五分しかすぎてない。だんだん、苦しくなる胸。大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせる。携帯の時計を見るたびに、テディベアのストラップが揺れた。


 梅雨前線がどこかへと行き梅雨明け宣言が出たころ、彼の携帯についたストラップがテディベアからシェルに変わった。煌めくスワロのビーズが不敵に揺れた。
『テディベア、外したんだね』
『あ、ああ、ちょっと汚れてきたから洗おうと思って。妹がやってくれるって言っている』
『そう、妹さん。テディベア好きだったもんね』
 わたしは、知ってた。
 隣のクラスの可愛いあの子のストラップも、シェルとスワロのビーズのだった。彼と同じもの。

7:23
 今思うとあれからだったのかも、と考えた。一緒に出かけるのも、週に一回が二週間に一回になり、月に一回になった。
 ふと視線を上げると、辺りが闇に包まれ始めたのが分かった。もうすぐ、花火大会が始まるはず。目の前を通り過ぎる人は、より数を増し、大群になっていく。その中に彼の姿はまだ見えない。


 蝉が鳴いていた。強い日差しを避けるように、濃い影の下、二人歩く姿が見えた。一人は彼、そしてもう一人は隣のクラスのあの子。
 楽しそうに笑いあいながら、時折つつきあいながら。
 それは友達同士だなんて見えなかった。だから、わたしは一通のメールを打った。
[花火大会に行きたいです。夜七時、いつもの待ち合わせ場所で待っています]

7:29
 彼がまだ雨の降る頃にこれは君に似合うだなんて言った金魚の柄の浴衣を着て、いつもの待ち合わせ場所に立った。いつもより身だしなみに気をつけて、髪も巻いてみた。でも、もう絶望的なのかもしれない。うなだれて、下を向いた。
 その時、彼の声が聞こえたような気がした。あわてて顔をあげる。
「っ、……」
 目の前を通る二人の影。彼と隣のクラスの子。楽しそうに笑いながら、小走りに花火大会の場所へと消えていく。
 分かってたはずなのに、ショックだった。
 まだ心のどこかで、信じていたんだ。つながっていることを。
 携帯のストラップはもう、違うのに。テディベアがひとり揺れる。
 顔を伝る濡れた感触にわたしは自分が泣いていることを気づかされた。気づいたらもう、とまれなかった。
 視界がだんだんぼやけていく。私は拭うこともせず、ただひたすら何かを流そうと、涙をこぼした。
 突如、大きな音がする。
 空に一瞬、光が満ちた。すぐ消え、また光が舞う。
 ぼやけた視界のむこう、花火大会がはじまったことを知る。
 拭わずに落ちていく涙のせいで、はっきりと見えない。
 でもそれでいいのかもしれない。あの二人が見ている風景を独りでなんて見れない。
 そのままでわたしは空を見上げる。そのにじんだ光をじっと見つめていた。

 滲んだ花火は、夏とわたしの恋の終わりをつげていた。



蒼傘屋
突発性競作企画第24弾“夏”

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