船上は穏やかな風が吹いていた。その風に髪をなびかせて、伸びをする。
「気持ち良いーっ」
陽気は暖かく、この分では航海も楽に済みそうだと、考える。
ワーチはここ数日で歩きつめ、ハン国まで来ていた。ここからサイヒ国に渡り、そこで仲間を探すつもりだった。
サイヒ国は世界で唯一多種族の国。もしかすると、潜んでいるかもしれないという期待をかけて、渡るのだ。
「コンニチワ」
港から船上にあがってきた女の子がこちらに笑いかけてきた。驚いたあまり「あ、うん」と間抜けな答えを返す。彼女は気持ち良さそうに、ふわふわと髪をなびかせ船内へと消えた。
「――さっきの子も、サイヒ国に渡るのね」
『どうかしましたか?』
船の端に寄りかかる。ふぅと息を吐いた。
「あの子、鳥人でしょ? 本当にサイヒ国って色んな種族が住んでるんだろうな、って考えたらその中でひとつの種族を見つけるなんて、難しいんだろうなって……」
『……でも、諦めるというのは、いけないと思いますよ』
フーマはそう言い、頭を撫ぜた。心地良いそれは、ワーチを慰める。
「そうね、諦めてはいけないよね」
船を漕ぐ者への合図の音が船に響いた。それは出港の合図でもある。ワーチはそれを聞いて、船内へと入っていった。
船内は広く、一人にひとつの部屋が与えられていた。船尾からふたつめの扉に、自分の名前の書かれた札が下がっている。ギィと音を立てて、扉を開いた。中には綺麗なシーツがかけられたベッドと小さなつくえが置いてある。つくえの上に、ランプが置いてあり、小さな光で室内を照らしていた。
「まぁ、寝泊まりするだけの部屋にしては立派よね」
つくえの下に荷物を置いて、ランプの火をやや大きくする。すると文字が読めるほどの明るさとなった。ベッドへと飛び込み、使い込まれた毛布を被る。程よい暖かさが身体を包む。
この数日、野宿ばかりでベッドの上で寝ていなかった。その疲れもあるのか、すぅすぅとすぐに寝息をたて始める。
フーマは肩をすくめ、毛布をきちんとかけてやった。
はっと目を覚ますと、ランプの灯かりはずいぶん小さくなっていた。油が足らなくなってきているのか、じじじ……と小さな音を立てていて、火が消えてしまいそうだ。油を足してもらおうと、それを手にして室外へと出た。船首へと歩いていく。
「っ、が」
突然開いた扉で、鼻を打つ。じくじくと痛みが走っていく。痛い、痛すぎて立てない。うずくまったまま、うなった。
「痛っ……」
「大丈夫デスカ?」
スミマセン、と心配そうな顔をして、扉の向こうから顔を出したのは、出港の時挨拶をしてくれた女の子だった。
彼女の荷物のなかに、手当ての道具があったらしく、お言葉に甘えて手当てをしてもらう。鼻に緑色の塗り薬と薄布を貼り付けられた。
「本当にスミマセン」
小さく縮こまっている彼女に、いいのよと声をかける。
「それより、あなたもサイヒ国に渡るのよね?」
ぱっと顔をあげ、あなたもデスカと訊ねられた。首を縦に振る。
「どうして、サイヒ国へ?」
聞いた途端、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「お母さんに、会いに行きマス。もう何年も会ってないデス」
「――お母さん」
当然のことだった、けどなぜかその言葉が胸に引っかかった。そうだ、彼女には母親がいるのだ。自分のように母親を亡くしてはいない――。
雰囲気が暗くなりそうなのを感じ、慌てて微笑んでみた。上手くできたかは、自信はない。それと合わせて、言葉を付け加えた。
「お母さんに会えるといいね」
「ハイ、ハン国国まで連れてきてくれた人が、迎えの人をつくってくれてマス。その人、お母さんの居場所、知ってマス」
「ハン国に連れてきてくれた人?」
その言い回しが妙に引っかかって訊ねてみると、彼女は嬉しそうに言う。
「GOUという術師さんデス。いい人デス。忙しいのに、ハン国まで送ってくれマシタ」
「へぇ……」
世話焼きな人もいるものだと思った反面、その人に会ってみたいなという気持ちもわいた。
その人の話を聞こうと身体を乗り出した時、扉がコトコトと遠慮がちに鳴った。続いて給仕の声がする。
「失礼します、食事の用意が整いました。よろしければ、船首の大広間までお越しください」
途端、お腹が大きな音で鳴って。二人で笑みを浮かべ合った。
「行こうか、えーと……」
名前を呼ぼうとして、まだ名乗り合ってなかったことを思い出す。
「わたしは、ワーチ・カッグウィール。ワーチでいいわ」
「晶デス。よろしくデス」
彼女は自己紹介の後、ワーチと言い難そうに発音した。
供された食事は簡素ながら、スープやパンは温かく、数日を冷たい携帯食料や干し果物でしのいできたワーチにとって、久しぶりのごちそうに感じた。
「ねぇ、晶。そのGOUっていう人は、どうして忙しそうだったの?」
口にスープを流し込みながら、訊ねた。晶はパンを片手に答える。
「えーと、よく分からないデス。でも過という術師さんが女王を殺すつもりで、隊列とかなんとか……」
思わず聞き逃すところだった。けれどしっかり聞いてしまった。
「――過って言った?」
その問いに、首をかしげながらもハイと返してくる。
「晶は、知ってるの、過を?」
「知ってマス。生まれた時からいた山からお母さんに会えるように迎えに来てくれたの、その人デス」
耳を疑った。ワーチの知っている過という男は、平然と虎人の族長を殺していった男だ。
「……わたし、国を――トーコ国を出てくるときね、虎人の族長に挨拶しにいったの。その時、過に殺されたわ、その人」
「そんなっ――」
晶は手で口を覆った。眼を見開いているのが分かる。ワーチはカチャンと音をたてスプーンを落とす。それで、手が震えていたのが分かった。過という術師は何をしたの? 女王を殺す?
「女王って……!」
はっと気付いた。女王制のある国はひとつしかないはず。ショウ国だ。世界でもっとも力のある国――。そんな国の女王を殺すなど、大罪もはなはだしい。
(過という術師は何をしたいの!?)
頭がこんがらがってきた。思考の外へと、押し出してしまいたい。
でも無理だと分かってる。
「晶、その過という人は……」
さらに質問しようとした時、船が激しく揺れた。ガシャンと大きな音を立てて、皿はテーブルの上から落ちて割れる。
「なっ、なにこれ!」
晶と二人、床へとうずくまる。額の石から出てきたフーマがそれを保護するように囲う。
ずきずきと頭に響く轟音を聞きながら、結局はそうやっていることしかできなかった――。
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