目の前にそびえ立っているのは、黒いグラニット(かこうがん)で造られた門だった。門上の飾りのなかで、二匹の猫が追いかけっこをしている。
「……でか」
 叶子(ユエズ)はあ然としてその門を見上げた。けれど、胸の中には達成感もあった。自然と顔に笑みが浮かぶ。
(やっと、キョウ国(トゥクルトスニー)にやってきた……)
 ぎゅっとこぶしを握って、その門をくぐろうと足を向けた。


 翡翠(フェイチュイ)に持たされた退国許可証を渡すと、入国審査官は裏を確認してから入国許可書に判を押した。こちらにそれをよこしながら、首をひねられた。
「しかし、どうしてトーコ国(ラトス・イルク)の族長代理の署名をもらえるようなご立派な虎人がこのキョウ国(トゥクルトスニー)まで来たんだい?」
「――グオ、という男を知っていますか?」
 少し迷った。けれどここで少しでも情報を得たい。そう思って訊ねた。しかしそれには爆笑で返された。
(グオ)を知っているか、って? この国で知らない奴なんていないよ。あいつはこの国の最高議会議長の息子で」
 言葉を切って、その人はちらりと壁を見た。
「余罪ありまくりの重罪人だよ」
 重罪人。その重々しい言い方にどきりとしながら、ならって視線を壁へと向けると、一枚の紙がはがれ落ちそうになっていた。何やらたくさん書かれているが、何とか読める距離だ。一際大きな字で過を重罪人に指定する、と書かれている。
 その下の細かい字面を追っていく。過という男は重い軽い多くに渡って罪を犯していることが知れる。罪状の横に、刑罰が書かれているのだ。その下にこう付け加えられていた。
(“過を以上の刑に処す。そのため、近いうちに討伐隊を派遣す”って)
「……過、捕まえられるんですか!」
 思わず大きな声をあげてしまった。相手は驚いたのか、眼を見開いている。立ち上がったために、つくえが揺れ書類がぱらぱらとこぼれた。
「まぁね。討伐隊が捕まえられたら、の話だけど」
 床の書類を拾いながら、のんびりと言う。そんな彼に詰め寄った。
「じゃあ、その討伐隊に入るには、どうすればいいんですか!?」
 途端、呆れたような顔を見せる。
「お前、もしかして過を討ちにでも来たのか? やめとけ、結局命の無駄遣いだ」
「そんなことっ――」
「分かるから、言ってるんだよ。過は一級術師――いわば最上級の術師なんだ。そのなかでも、飛びぬけてな。ここまであいつが好き勝手出来てたのは、議長の息子っていう立場もあるが、その能力の高さゆえでもあるんだよ」
 睨み付けるようにしながら、しぶしぶ椅子に座り直す。言葉もぞんざいに訊ねた。
「じゃあ、どうして今回討伐隊を出すんだよ?」
 すると彼は紙の罪状を見るように言った。
「最後に“ショウ国(ラトスイルク)女王コランダムに眠りの術をかける”とあるだろう? さすがにあそこの女王に手を出したから、議会も見て見ぬふりをできなくなったのさ。実際、ショウ国(ラトスイルク)から申請されたしな。他にもどっかの国の族長(トップ)殺したって話も聞くしな」
 その言葉を聞いて、うつむいた。どうしようもなくなったから、討伐隊を出す。そんな人を相手にして、仇討ちなんてできるのだろうか。
「まぁ、過と同じ一級術師も隊に加わるようだし、捕まえられるだろ。お前はその吉報でもこの国で待ってればいいさ」
「……でも」
 言いかけた言葉は途中で止まった。自分が出てっても、どうしようもないことは分かっている。でも、やりきれない気持ちでいっぱいだった。
「――いいじゃないの、申し込みさせてやってみては?」
 頭上から降ってきた女性の声に思わず振り返った。ひざまでの長くて黒い上着を着ている。それは術師である証だ。暗い色の髪に揃いの瞳、そして耳がある部分には自分と同じ虎の耳が生えていた。
(……この人、虎人だ……)
 呆然と見上げていると、審査官がRAIN(レイン)さんと呼ぶ。
「何言っているんですか、こいつ術師でもないんですよ? まぁ、同じ虎人(フーレン)なんでそう贔屓しちゃうのも分からないではないんですけど」
「贔屓じゃないわよ。この人は母国(ラウ・レギト)では軍師をやっているの。だから、術師では思いつかないような作戦でも浮かぶのではないか、と思ったのよ」
 審査官は苦り切った顔を見せながら、叶子の方へと向き直った。
「で、トーコ国(ラウ・レギト)トーコ国の軍師さん。討伐隊入隊の申し込みするの?」
 投げやりな口調で訊ねられたそれに、思いっきりうなずいた。
「はい、やります!」


 すでに書いていた入国許可書の他に、数枚の書類を仕上げ、揚々と建物を出る。RAINと呼ばれていた術師の女性も付いてきた。
「あなた、運が良いわね」
 かけられた言葉の意味が分からなく、首をひねる。その姿を見て、RAINは笑った。
「討伐隊への入隊申し込みは、今日までなのよ」
 ほら、その紙に書いてあるでしょう? と言われ、手にしていた書類を見る。確かに今日の日付が締め切り日として書かれていた。ついでにと、もらった書類をめくろうとする。
「ちょっと待って。今日の食事は済ませたの? よければ、一緒にどう?」
 これからのことの説明もしてあげるわよ、との言葉にもろ手をあげて賛同を示した。


 連れてこられたのは、トーコ国にもあったような酒場だった。あちこちの丸い(つくえ)で、なみなみと麦酒が注がれた鉄のコップが並んでいる。RAINはその間をぬって壁側の席を取った。
「座ってて。何かもらってくるわ」
 言われたとおりに、木製の椅子をひく。腰を下ろすと、ギィと音がした。鞄を床に、手にしていた書類を卓の上に置いて、背もたれに身を預ける。
「はい、どうぞ」
 戻ってきた彼女は手に魚介類の揚げ物とさっき見たような麦酒のコップを二つ持っていた。そのひとつを受け取って、おそるおそる口をつける。途端、顔をしかめた。それをみてくすくすと笑いをこぼされる。
「顔が苦いって語ってるわよ? まぁ、トーコ国(ラウ・レギト)の酒は甘いものね」
 RAINは揚げ物をひとつ取り上げて口に運び、麦酒を喉へと流し込むと、卓の上に出ていた書類を人差し指で叩いた。
「まず討伐隊の人数は、四名の予定」
「よっ、四名!?」
 ならうように揚げ物を口に運ぼうとしていた叶子は、その数に驚いてそれを落としそうになる。
「なんで、そんなに少ない数なんだよ!? 相手は強いんだろう?」
「強いから、よ」
 店主(マスター)に対して米を野菜と一緒に柔かく炊いたものを二つ追加注文してから、向き直る。酒をあおって口をひらいた。
「議長だって恥にしかならない息子の件を大きくしたくないんでしょうよ。それにたくさん人を遣って、全員に死なれたらかなわないし」
 問題はそこじゃないわよ、とRAINは呟く。
「あなたがその四名のうちに入らなきゃ駄目、ってことよ」
「でもそれってどうやって決めるんだよ」
 その質問には下を見なさいよ、と返される。したがって、書類の下の方を見ると“勝ち抜き試合”と書かれていた。
「明後日から二日間で行われるわ。何人申し込んだかは知らないけれど、過はあちこちで恨みを買ってるし、彼を倒して有名になろうって奴もいっぱいいるし。激戦であることには間違いないわ」
 でも、と口をひらく。
「でも勝たなきゃならない」
 約束したから。翡翠に、討ってくると言ったから。
「――おれは討伐隊の一員になってやるから」
 にやりとRAINが笑う。
「それでいいのよ。明後日、頑張ってちょうだい」
 まぁ自分も出るから競争相手だけどね、と付け加えられた。叶子はその言葉にしっかりとうなずいた。

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