何を言っているのか、分からなかった。GOUとRAINの顔を交互に見つめるが、厳しい表情が見えるだけで何も読み取れない。
「とりあえず、座ろう」
KENがそう勧めて、椅子をひく。それぞれが円卓の周りを囲む形になった。ついでにKENは麦酒を注文する。
運ばれてきたそれに口をつけるまで、誰も何も話さなかった。
「……“色封印”って何なんだよ?」
叶子は訊ねてみるが、誰もそれに答えをくれない。ただ、互いに顔を見合わせている。自分だけ置いていかれている感覚におちいる。術師は排他的だ、と感じた。
自分の右に座るKENからGOU、RAINと順々に顔を見つめていく。KENがその視線に気付いて、肩を叩いた。それからRAINの名前を呼ぶ。
「――できることなら、したくはないのだけど」
ため息交じりに呟かれた独り言が耳にささる。何をするんだ?
彼女は叶子に尾をこちらに向けるよう指示した。訳も分からず、言う通りに身体を動かす。すると、彼女の手が伸びてきて、その尾に括り付けられた二対の鈴を掴んだ。
「!!」
身体中にしびれが走った。その後に鋭い痛みが次々と刺さってくる。やめてくれ、と懇願する。けれど彼女はその手を話さない。他の二人もただ見つめているだけだ。
突然鋭い音が耳の内外で起きた。前頭部が痛みだす。それは全体に広がっていく。頭を抱えてうずくまった。
それからだった。RAINが自分の尾に結わえられた鈴を外したというのに気付いたのは。
「……なっ」
虎人の尾についている鈴は、一種の封印具だ。昔先祖は猛る種族として恐れられていた。しかし、より高い獰猛さを求めた先祖達は、やがて狂ったらしい。それを制圧しにきた術師――その人自身も虎人だったというが――が狂乱を抑えるために行った封印の象徴がこの鈴だという。それを外したということは、自分が狂乱に陥り暴走してしまうということだ。
叶子は頭の痛みを忘れて呆然となった。その後すぐに恐怖にとらわれる。
逃げ出したくなる自分の肩をたたいたのは、片手に外した鈴を持ったRAINだった。
「あんたは大丈夫」
恐る恐る手を見てみる。何も変わっていない。相変わらず爪の長く毛深い掌があった。
長く長く深いため息をついた。安堵が混じったそれに、KENが笑みを浮かべた。向かい側で座るGOUだけが険しい表情をRAINに向けていた。
その視線をうけて、彼女は叶子に言う。
「ほら、とりあえず湯でも浴びて、落ち着いてきなさい」
事情はそれから、と付け加えて、背中を押される。その勢いのまま席を立った。
店主に風呂を使う旨を伝えると、にこやかにどうぞと返される。それから振り返ると、三人は頭を突き合わせて、何かを真剣に話し合っているようだった。
やっぱり術師は分からない、と結論づけて、その場を後にした。
獅子国の風呂は、円柱状の金属釜を焚き木の上に置き、中の湯を沸かすというものだ。ここではそれが宿泊室分用意されていて、それぞれ己の部屋の番号が書かれた釜を使用することができる。まず広い部屋――脱ぎ所(ぬぎどころ)と呼ぶらしい――で衣服を脱ぎ、次の部屋で身体を洗い、最後にその釜へ入浴するという感じだ。
叶子は脱ぎ所で端を陣取り、衣服を脱いだ。丁寧にたたんで、用意された入れ物に入れる。尾につけられた鈴がないだけで、脱ぐのが大分簡単になった。そのことに、少しさみしさを感じた。
次の部屋に続く扉を開けると、中央に置かれた洗い湯用の大釜からの湯気で何も見えなかった。ただ、数人の団体がいるようで、声が聞こえてくる。叶子は顔を合わせたくなくて、壁にそって歩んでいく。しかし、湯気の中から突然現れた大男と鉢合わせしてしまう。
「あぁ、すまない」
その相手もあまり周りが見えてないようで、顔を近づけてきた。ややぬれた土色の髪が数本、顔に張り付いている。右目尻に二本の傷が見えた。
(……獅子人だ……)
獅子国にいるのにも関わらず、あまり人のいないところを通ってきたために、間近で獅子人を見たのは初めてだった。ものめずらしくてついじっと見つめてしまった。相手はそれを怒っていると勘違いしたらしい。本当にすまない湯気で何も見えなくて、と言いながら、洗い場へと移動していく。
叶子はそれと相対するように、反対側の洗い場へと進んでいった。
中央の大釜から桶に湯を注ぎ、頭からかぶる。俯くと顔の横で揺れる髪から湯がしたたった。
(――?)
自分が見たものが信じられなくて、もう一度湯をかぶる。そして空になった桶に髪からしたたる湯を落とす。それは木肌色の桶の底面を、黄色く染めていく。
もう一度、もう一度とその行為を繰り返した。そうして、したたるものに色がなくなった頃、髪の色はすっかり様変わりしていた。
黄色かった髪色は、黄ばんだ白へと変わっていた。
「これが、色封印……?」
よくよく見れば、尾の色も体毛全体も色が変わっている。すべて白へと。
それをはっきりと認識した時、再び頭痛が戻ってきた。今度は鋭い痛みでなく、鈍く深いものだ。忘れようとしながら、身体を石鹸でこすり、洗いを終わらせる。
脱ぎ所と逆の方向へ進み、連立した円柱釜へと近づく。自分の泊まる部屋番号を探し、中の湯に身を沈める。身体が温まるとともに、ぼんやりと風景が浮かんできた。
それは、どこか懐かしい風景だった。
湯から出て、泊まっている部屋へと戻る。扉を開くと、中にRAINがいた。彼女の今の毛色は、深い緑だった。同じような色を眼に持つ兄のことを思い出す。RAINは叶子に気付いて、おかえりと微笑んだ。あぁ、と曖昧な返事を返して、寝床に腰掛ける。
無言の時間がしばらくあった。叶子がやがてゆっくり口を開いた。
「――母上が死んだのは、おれのせいなんだろ?」
彩虹姉上、と続けて呼ぶと、しばらくは身体をこわばらせていたが、意を決したようにRAINは振り返る。
「あなたの、せいじゃない」
ゆっくりとそう呟いた。母上が亡くなったのは自業自得だ、とも。
叶子が思い出した景色。それはずっと思い出せなかった七年前の景色。そこには、父親や母親、兄の翡翠の姿とともに、RAINの姿があった。叶子はそれがどういうことなのか、分かった。否、分かっていた。昔の景色の中で、彩虹と呼ばれたRAINは、姉だ。
「おれは七年前、母上を殺した。だから、彩虹姉上はおれの本当の姿と記憶を封印したんだろう?」
その問いには答えずに、RAINは新たな問題を投げかけてきた。
「ねぇ、もし自分の運命が犠牲の上に成り立つ、って分かっていたらその運命はどうする?」
何を言われているのか、よくわからなかった。犠牲の上に成り立つ運命? それはどういうことなんだ?
「どうしようもないだろう、運命は“決める”ものじゃなくて“決められる”ものだから」
そうね、と悲しそうな顔をして笑った。
「母上はその運命の下の犠牲よ。そしてこれからも多くの犠牲があなたの運命の下に集う」
それでも、と言葉を紡ぎ続ける。
「それでも、あなたは運命を突き進む?」
何かをなすために、犠牲はつきものだと誰かが言っていたのを思い出した。それは誰だったか。
「……犠牲を負わなければいけないなら、おれは負うよ」
言葉を返すと、RAINは笑みを浮かべて仕方ないわよね、と言った。
その時の自分は、その“運命”がどういうものなのか、分かってなんかいなかったのだ。
←前へ 戻る 次へ→
Copyright(C) 2008 Wan Fujiwara. All rights reserved.