いけにえ。
 ワーチは自分のなかに、深くその言葉が入ってくのを感じた。
「どういうこと?」
 眉をひそめて二人を見つめる。風磨(フウマ)は気まずそうに視線を逸らしたが、ブレイヴは笑みを絶やさず見つめかえしてきた。
「いけにえは、いけにえさ。ある目的のために犠牲に――」
「そういうことを聞いてるんじゃないわよ!」
 ありったけの声で怒鳴ると、彼は笑みを消した。
「じゃあ、知っているか? この世界は揺らいでいるんだ」
「ゆらいでいる? どうして?」
 じっと見つめて聞き返す。知りたい。その一心で。彼はそれに答えてくれている。
「どうして、ね。それは詳しくは言えない。でも、想像してみてよ」
 ブレイヴは言う。石を積み上げて造られた家がある。とても安定していて、それには揺らぎがない。でももし――。
「でももし、その家の石が一つ取り除かれたら?」
 その石は土台に使われた石だよ、と付け加えられた。ワーチはすぐに答える。
「決まってるわ。その家は揺らいで崩れてしまう」
 瞬間、彼の指がワーチをさした。それだ、と言われる。
「じゃあ何? 世界はその石を積み上げられて造られた家だというの?」
「そういうこと」
 世界が揺らいだのは、何かが欠けてしまったから、だという。その何かというのは教えてくれないようだ。とりあえずは諦めて、問いを続ける。
「じゃあ、どうしてわたしがいけにえだということと、それが関係するの?」
 ブレイヴは良い質問だ、と微笑んでから、リュートを取り出した。
 それを爪弾き始める。
《世界は 小さな歯車で できているといえよう
 皆が皆回り続けなければいけない そう言ったのは誰だろうか
 皆命ある限り 回り続ける
 傷がつこうとも 歯が欠けようとも
 そうして 世界は保たれている
 真実だろう 真理だろう
 我が身が朽ちるまで 我が軸が折れるまで それは回り続け
 朽ちた後は 他の者にその場を譲るのだ
 そうして 永遠はつづくのだ

 不自然に開いた場は どうすればいいのだろうか
 それぞれが噛み合って出来ているこの世界で
 きれいに並べられた その歯車たちは
 場の近くから 揺らぎ始め 崩れ落ちる
 それをどうとどめようか どう復(かえ)そうか
 さあ ささげよう
 その場に 新たな歯車を
 他からとられた歯車を
 そうして 世界はまた 調和を見出す――

 くりかえし くりかえし
 場を埋め 場を埋め
 歯車を動かし 歯車を動かす
 世界に調和を 世界に調和を
 くりかえし くりかえし
 さあ ささげよう》
 その詩は静かな旋律に乗せられて、歌われた。リュートの調べが心地良く耳に聞こえる。
 ただ旋律はどうでもよかった。問題は、詩の方なのだから。
「世界は揺らいでいる。君は、いけにえ。どういうことか……」
「――分かったわ」
 一呼吸置いてから、口を開く。
「世界の開いた場を埋めるため、わたしはいけにえとなるのね?」
 そのとおり、と楽しそうにブレイヴが言う。その彼に、もう一つ投げかけた。
「でもどうして、歯車の場をかえるなら、いけにえ――犠牲になんてならなくていいんじゃないの?」
「詩にあるのは、ただのたとえだ」
 ブレイヴはリュートを袋に入れて背負う。
「失ったのは、ただひとつの歯車だ。だけど、その開いた場を埋めるのに、ひとつじゃ足らない。そしてどれだけ小さな歯車を集めても、それはその場しのぎにしかならない」
 だからくりかえしなのだ、と彼は言う。
 ただワーチは何かが引っかかったような感覚を得た。
「ねぇ、ひとつじゃ足らないって、もしかして」
 彼はこちらを見つめる。
「……一度に四人のいけにえ。それが慣わしだ」
 四人。自分の他に三人もいるのかと思い浮かべた。その時、ブレイヴは口を開いて、名をあげた。
老虎叶子(シャオフーユエズ)雷龍晶(ライロンセイ)、そしてGOU(ゴウ)
 叶子(ユエズ)――彼は出国の時に世話になった虎人(フーレン)だ。(グオ)を討ちに旅を始めている。(セイ)は船で会った鳥人(ニャオレン)の少女。母親に会うために旅をしているはずだ。そして、GOU(ゴウ)。晶から聞いた術師だ。女王を殺そうとしている過を追っているという――。
「その人たち、は……」
「君と同じ、いけにえ、だ」
 どきり、とした。
 全員に共通していることがある。それぞれ旅に出ている――。
「もしかして、仕組まれていたの!?」
 思わず上げた声に、それまで黙っていた風磨から何がと声がかかる。
「旅のことよ!」
 思えば自分が旅に出るきっかけは、ブレイヴの売り言葉に返した買い言葉だ。彼は恐らく知っているのだろう。夜晶人が他にいるのか否かを。
 すべて計画されていたことだとしたら。
 母親の死までそうだとしたら――。
 身震いがした。開いた口から言葉をもらす。
「もうひとつだけ教えて」
 じっとブレイヴを見つめた。彼はその視線を真正面から受け取る。
 聞くのが怖い。でも、聞かなくちゃいけないと感じた。
「このいけにえのことには、過は関係しているの?」
 ブレイヴは笑顔を顔に貼り付けたまま、口を開こうとした。

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