本棚に黒一色に身を包んだ男が寄りかかっていた。手にしている分厚い本を一心に見ている。
GOU(ゴウ)、今日も勉強か? 熱心なことだな」
 声をかけられて、顔を上げた。黒い髪の間からこれまた黒い瞳が覗く。
「図書館長、そちらこそ早くから」
「いやお前には叶わないよ。毎日何冊も借りていくじゃないか。ところで、GOU。あれはお前を探しに来てるんじゃないのか?」
 指差す方向に視線を移すと、両手で抱えるのがやっとの大きさの何かが見えた。鱗で覆われた体はずんぐりむっくりしている。長い尻尾を引きずっていた。途端、疲れた表情をみせる。
「……またか。図書館長、これ返しておいてくれ。用事を済ませてから、また来る」
 持っていた本を手渡し、その何かへと近づいた。
「コウ」
 名前を呼ぶと、こちらを嬉しそうに見た。短い足を動かして、こちらへと歩いてくる。
「また、REAT(リート)から呼び出しか? いい加減にして欲しい……って、お前! 引っ張るな」
 言葉も聞かず、膝まで隠れる長い上着の裾をくわえて、外へと引っ張っていこうとする。それを引き剥がして、抱きかかえた。
「分かった、分かった。お前の言うとおりにするから」
 そのまま外へ向かい、コウを下ろす。
「さて、案内してくれ」
 その言葉を聞いて、コウが動き出す。後ろをついて、GOUは歩き始めた。


 水晶人(クリスタリアン)という種族の国であるショウ国(ラトスイルク)の王宮は、青い貴石でできている。その透き通った石の間を抜けて、とある扉の前でコウは止まった。こちらをじっと見ている。
「分かっている。ここにいるんだな?」
 キィと音をたてて、扉を開いた。中にいるはずの人に言葉をかけつつ。
「おい、REAT。いい加減、龍の子どもを自分の使い走りに使うな……って」
 目の前のことが、はっきり分かるまで、時間がかかった。
 扉の前に、緑がかった銀の髪を持つ女性がうずくまっていた。彼女は、GOUに気づいて、前の方を指差した。
 それを目で追っていく。そこには王宮と同じく、貴石で造られた円卓が置いてあった。その上に――。
「っ、女王!」
 慌てて駆け寄ろうとする。だが途中で何かに跳ね返された。するどい痛みが全身をかける。思わず床に転げた。
 それでも顔をあげ、円卓の上を凝視する。まぎれもない。ショウ国(ラトスイルク)の女王コランダムが横たわっている。顔が白い。まるで死人のような色をしている。
「……死んでいるのか」
「いいや」
 呆然と呟いた言葉に、返事があった。思わず声のした方を睨む。窓辺に男が座っていた。
「おお、こわいなぁ」
 身をすくめた彼の耳は横に伸び先が尖っている。森精人(エルフ)だと分かった。
「これは、どういうことだ!」
「どうもこうも、見たままさ」
 森精人(エルフ)は微笑む。
「君も術師の一人なら、これがどういう状態か、すぐ分かるんじゃない?」
 術師といわれて、身につけていた黒の上着の胸元を思わず掴んだ。この上着は、精霊と対話しその力を利用することのできる術師の証だ。そのまま目線を上げ、横たわる彼女を見つめる。
「――眠りの術か?」
「ご名答。ただその状態が続けば、危ないということは分かってるんだろう?」
 返事はしなかった。けれど、むこうはそれを是ととったようだ。
「まあ、善処することだね。ぼくたちは逃げも隠れもしない。ただ歯車の廻りに身を任すだけ」
 窓から飛び降りるのが見えた。呆然とそれを見送ってしまう。
「――GOU」
 か細く自分を呼ぶ声が聞こえる。義姉のREATが呼んだ声だ。
「は、母上は……?」
「眠りの術がかけられている。誰がかけたか調べるから手伝ってくれ」
 その言葉に、ゆっくりと立ち上がってこちらに歩んでくる。傍らに立つと、服の端をそっと掴んできた。
「――正体をあらわせ(ハツルト エン ルレト)
 小さく呟いた言葉のあとに、ふんわりとこげ茶の煙が漂った。
 術師は独特の色と香を持つ香気を持つ。何かにその力を使ったときにそのものに残っているそれは、罪を犯した者を定めるのに、役立ってきた。
「この匂い……あいつ、か」
「そうだと思うわ」
 REATが唇を噛みしめた。
「よりによって、あいつなんて……! あいつの術はとけない――」
 言葉を切って、前を見据える。女王に負けずその顔は青ざめていた。
「わたしにも、あなたにも。そして、この国の術師全ても……」
 途端GOUは方向を変える。
「ど、どこへいくの!」
 驚いたのか、慌てて後を追われた。扉の前で立ち止まる。
キョウ国(トゥクルトスニー)にいく! あいつを重罪人に定めて」
「……して?」
「仇を取ってくる」
 ばっ……、とREATが口を開く。
「ばかじゃない、無理よ! あんな人殺せるわけないでしょうっ?」
「殺せなくても捕らえの術ぐらいはかけられる。このままではっ」
 顔を歪ませ、目線をそらした。喉から絞りだすように声が出た。
「女王は、死ぬんだ」
 息を吸い込んだ音がした。それでもそちらを向かなかった。
「――分かったわ」
 彼女は腰元の紐に括り付けられたものを外した。そして、それをこちらに差し出す。
「アレよ。あなたがいいと思った時に使いなさい」
 アレの言葉に反応してしっかりとうなずいた。そして、鈴の形をしたそれを受け取る。
「――いってくる」
 そうして、手の中のそれを握りしめた。


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