いきなりの風に、思わず眼をつぶった。叩き付けるように吹くそれには、強く花の香が混じっていた。
「何これっ」
マントのフードをかぶり直し、やり過ごそうとする。けれど勢いはそがれることはなく、むしろ強まっていた。
「っ、フーマ!」
額の水晶へと呼びかける。彼は呼びかけと時を同じくして、飛び出してきていた。
「これはどういうことなのか、分かるっ? いきなり風が吹いてきたのっ」
『これは、風の精霊によるものです。そして、それを操る術師もすぐそばにいます』
作為的に造られた風は、さらに力を増している。少しでも打ちつけられるのを避けようと、しゃがみこんだ。
「族長殿と軍師殿が、無事かどうか分かる?」
『ここからでは分かりません。この精霊の力は強すぎます!』
「止めさせることはできないの?」
その言葉に、手を口にやって考える素振りを見せた。
『全く……不可能というわけでは、ありません』
「ならっ!」
『しかし易々と行えることでもありません』
悲しそうに眉尻を下げるフーマに、笑いかけた。
「少しでも可能性があるなら、やってちょうだい」
そうですね、とフーマも笑い、ワーチをかばうように立った。口が動いているのが、かろうじて見える。けれどやはり向こうの力が強いのだろう、肌が裂け手のひらでその傷をおさせるのが見える。
くやしそうに顔を歪め、もう一度口を開いた。
『我が名は、フーマ! 水晶を抱く娘ワーチに従いし山谷風の精霊! 主人を守るその契約において、我はこの風を起こす者に、名を表すことを求む!』
その声に答えたのか、吹き荒れる風の中から精霊が姿をあらわした。男性の姿を持つそれは低い声で言う。
『フーマ、その求めに応じよう。我が主人の命ずるところにおいて、この風を起こす我の名は、嵐風。烈風の精霊だ』
『嵐風、どうして我が主人を襲う?』
『其方の娘はただ巻き込まれただけだ。もしこの場にいなければ、そう傷を追うこともなかっただろうに』
ワーチは、頭を上げた。
「わたしたちでないなら、族長殿か軍師殿かが狙われたんだわ! フーマ、無事かどうかを……」
確かめて、という言葉を続ける前に、第三者の声が割り込んだ。
「その必要はない」
声のした方向へ振り向くと、茶の髪を垂らした術師が窓辺に座っているのが見えた。
「あなたは――」
『主人』
嵐風がそう呼んだことで、彼の素性が分かる。思わず叫んでいた。
「あなたがこの風を起こさせているのね!? どうして、そんなことをしているのっ?」
こちらを向いた術師は、ため息をついた。
「たまたま居合わせた者に、教える義務はない。そちらに知る権利もない」
「でも、居合わせた限り、知りたいと思うのが普通でしょう?」
そう発した途端、睨み付けられた。身を竦めてしまう。彼はそれに嘲笑をこぼした。
「好奇心とは、時として良い結果を得ることもあるが、大抵は悪い結果をもたらす。そのことをよく覚えておくといい」
窓の縁から降り立ち、近づいてきた。
「今回は特別に教えてあげよう。私の名は、グオだ」
「グオ……?」
嵐風のところまで来ると、きびすを返した。
「嵐風、用はすんだ。いくぞ」
『はい、主人』
「ちょっと、どうしてなのかは聞いてはないわよ!?」
その背中に問いかけると、面倒くさそうにこちらを向いた。
「いずれ、分かる。その時、“軍師殿”にでも我が名を教えてやればいい」
その言葉の後に姿がぶれ、そして消えた。その場から動けない間に風も収まり、部屋の惨禍の様子が露になった。
眼を部屋の隅へとやる。黄色いものが見えた。それが虎人だと気づくまで、時間はかからなかった。
「それは……」
「……父上」
軍師がその背を撫ぜた。泣き声を押さえるように、歯を食いしばっている。尻尾についた大きな鈴がチリチリと高い音を立ている。それが、葬送の音のように聞こえた。
がたがたと震えが身体中に走るのを感じた。
「……ちくしょう。ちくしょう」
彼は大粒の涙をこぼしていた。その手のひらを、族長の身体に乗せながら。
ワーチも族長に触れる。既に冷たかった。
瞳から、ほろりと涙が零れた。
「――あいつ、捕まえてやる。殺してやる!」
彼に対して慰めの言葉は思いつかない。ただ横で同じように死を悼むしかなかった。
涙をこぼし続けていると、その肩に暖かい手が置かれる。振り返ると、フーマが哀しそうな笑みを浮かべていた。
「族長が――どうして。優しい人だったのに。どうして殺されたの……」
いきなり背後でバンッと音がした。
驚いて振り返ると、そこには悲しみと怒りに表情を染めた緑眼の虎人が立っていた。
「……翡翠兄上」
軍師が静かな声で呼んだ。その声に反応して、その虎人はかつかつと族長に近よる。その遺体に手を添え、涙をこぼした。
「――父上。どうして……」
「どうして死んだんだ……?」
傍らに控えていた虎人も、悲しそうに顔を歪めている。思わずこぼしてしまう。
「っ、殺されたのよ」
「お前に、か」
すぐさま返ってきた言葉に、かっと顔が赤くなるのを感じる。うろたえてしまった。
「そうなんだろう? 夜晶人の娘」
攻め寄られてあとずさりする。手をあげたのが目に入り、思わず顔を背けた。
「止めろ、義! 彼女は、何もしていない!!」
軍師がそう間に入ってくれた。しかし、義と呼ばれた男は振り返り、口の端を上げた。
「そうか……じゃあ、お前がやったんだな?」
「なっ!!」
「違う!」
軍師の否定にならない言葉にかぶさるように、思わず口を開いた。
「違うわよ! 私は知ってる、手を下したのはグオという術師に仕える烈風の精霊、嵐風よ!」
自分の方に向けられる視線が、冷たいのが分かった。ゆっくりと彼の口が動く。
「………どうしてお前がそんなことを知っている?」
「さっき聞いたのよ」
「そんな都合よく自分の身分を教える奴がいるか!? お前もそいつとつながっているんだろうっ?」
声を荒げた義に、冷たい言葉が飛ぶ。
「やめろ」
「ですが、翡翠――!!」
「誰が殺したなんて、今問題にすることじゃない」
翡翠と呼ばれた虎人は、涙で濡れた顔を上げて命令した。
「この二人を牢にいれろ」
涙でぼやけた視界の端で、義が了承しましたと頭を下げるのが見える。
(わたし、このままでは族長殺しの罪を被らされてしまう)
そう思った途端、背筋を冷たい汗が走ったのが分かった。
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