晶が飛び出してしばらくすると、船の揺れはだんだん弱くなり、最後には止まった。
「……怖かった」
ワーチはほっと胸をなで下ろすとともに、晶が無事でいるかどうかがすごく気になった。
『無事であることを、願っていましょう』
ワーチの心を読んだように、フーマがそうなぐさめた。
「航海中アクシデントがありましたが、ほどなく、到着となります。皆様、お疲れ様でございました。給仕が呼びにまいりますまで、部屋でおまちください」
あてがわれた部屋へと帰り荷物を詰めていると、そう呼びかけがあった。ざっと部屋を見回して、忘れ物がないかを確かめる。
「切符もあるし……よし、っと」
灯かりを小さくして、給仕を待つ。程なくしてコンコンと控えめなノックの音が聞こえた。
ローブを着てフードをきちんとかぶる。それから、部屋を出た。部屋の前を通って、屋外へと出た。
「うわー……」
空は出港の時と同じ色だったが、その下に大きな山脈が見えた。トーコ国と違い、その山は緑に染まっていた。
そのまま視線を下へと向けていく。船から降りる人たちが見えた。
(――ん?)
最初は見間違いかと思った。でもそんなはずないと見直した。今、船にかけられた板を降りていくのは。
「過っ!」
思わず駆け出していた。フーマが止めようとするのもかまわず。
「ごめんなさいっ」
途中、ぶつかった婦人に平謝りしながら、船を下りる。切符を端にいた船員に押し付けるように渡して、追いかける。けれどどうしても追いつけず、結局たくさんの人のなかにまぎれてしまった。
荒い息を吐き出しながら、近くにあった荷に寄りかかった。木箱がきしむ音がしたが、かまわない。鞄から水筒を出して中の水を一口ふくむ。幾筋か流れた汗もぬぐった。
ぼんやりとあたりを見回す。すると、目の前の広場に何やら人だかりが出来ているのを見つけた。
「フーマ、あれ何だと思う?」
『さあ……分かりません。何か見世物でもしているのでしょうか?』
その言葉に、行ってみようかと声をかけて、近づいていった。すると相変わらず見えないものの、歌が聞こえてきた。弦楽器の奏される音も一緒に、だ。
《昔小さなこねずみが 母ねずみに聞きました
“外の世界はどんななの?”
それを聞いて母ねずみ“冷たく恐ろしいところだわ”
こねずみはぴょこんととびあがり“それならマフラーをしていけばいい”
それを聞いて母ねずみ“大きなものがたくさんあるの”
こねずみはくるくるまわって“それなら大人になればいい”
それを聞いて母ねずみ“いやな音でいっぱいよ”
こねずみはきゃあきゃあさわいで“それなら耳あてをしていけばいい”
それを聞いて母ねずみ“まっくろなねこもいるわ”
こねずみはくすくすわらって“それなら魚をもっていけばいい”
それを聞いて母ねずみ“ぼうやは外に出たいの?”
こねずみはちょろちょろ走って“出たい、出たい! 外に出たい!”……》
聞いたことがあるな、といのが第一印象だった。でも思い返してみて、驚いてしまった。
「これ……、お母さんの子守りうたっ!」
誰が歌っているのだろう、気になって人の垣根をかきわける。けれど途中でフーマに止められた。
『だめです。これ以上行ってはいけません』
「どうして!」
誰なのかを見るぐらい、いいじゃない、と反論する。
『だめです。あの男と関わるなんて、冗談じゃありません』
「――“あの男”?」
聞き返すと、はっとした表情を見せた。
「フーマ、知っているの? この歌を歌っている人を知っているのね!?」
「知っているよ」
答えはフーマからではなく後ろから聞こえた。振り返ると、自分と同じようなローブを着た男が立っていた。耳は横にとがり、緑の長い髪を後ろの上の方で一つくくりにしていた。
「あなた、この前の――」
(この前の森精人だ……)
彼も首をかしげて、ワーチのフードを剥ぎ取った。フーマがその手を払いのけようとするが、間に合わない。
「この歌は僕の手作りだ。この歌を知っていて、かつ僕のことを知っている――」
額にそっと触れられた。布で覆われたそこには、水晶がある。彼の指先には人の肌ではない硬い感触が伝わっているだろう。
「君がワーチ・カッグウィールだね?」
答えなかった。答えられなかった。相手の森精人が勝ち誇っているような口調でそう告げたからだ。彼は訊ねてなんかいない。そう感じた。
肩を縮こまらせていると、彼は額から手をのけて、フードをかぶせてくれた。それからふぅっと息を吐いて、先ほど彼が座っていたのだろう敷物がしいてある場所へと手招きした。
そちらへ向おうとすると、またフーマがとどめてきた。けれど無視して、森精人のとなりへと腰を下ろした。
「――こねずみは、どうして外へ出たがるのだと思う?」
突然の質問だった。何のことか分からなかったが、すぐにさっきの歌のことだと分かる。自信満々に答える。
「外の世界を知りたいから、でしょ? 誰だって知らない真実は知りたいと思うものじゃないの?」
「危険を犯しても?」
その言葉に、まぁ確かに危険があるかもしれないけど……と言葉をにごす。
「だって、危険な目にあうことを考えてたら、家からさえ出られないじゃない」
彼の顔をのぞきこむ。ふふ、と笑い声が聞こえた。
「だから、君は彼に殺される危険もかえりみず、過を追ったわけだ」
聞き間違えたかと思った。けれどたしかにこの耳で聞いた。
「今、過って……」
「言ったよ? 君は船上から彼を見かけた。何かを知りたくて、彼を追っていったんだろう?」
「――知り合いなの?」
この質問に、まぁねとあやふやな返事が返ってきた。
「じゃあ、あいつは何をしているのか知っているの?」
「何をしているって?」
「虎人の族長やショウ国の女王を殺したかと思えば、母親に会わすための準備をしてあげる。何の目的があるの?」
森精人は、ふぅとため息をついた。
「目的、ねぇ……」
立ち上がって、指笛を吹いた。どこからともなく、山羊が走ってくる。その背に手を乗せて、彼は言った。
「それを知ることを望む?」
「ええ」
『やめてください!』
すぐに答えると、フーマが叫んだ。ワーチの前へと来る。
『だめです、知ってはいけません!』
「どうして? どうして、知ってはいけないの!?」
言葉につまったフーマの横から、森精人が顔を出す。
「それはその目的を知ったら、君に隠された君の真実を知ることになるからさ」
「――わたしの真実……?」
彼は山羊に乗り、手を伸ばす。手のひらがこちらを向いた。
「それを知ったら、大きな決断を下さるをえなくなる。とても大事な決断で、誤れば命はない――」
ワーチはその手をとった。力を込めてにぎる。
「それでも、知ることを望むわ。お願い、教えて」
「夜晶人の仲間を探さなくてもいいのか?」
「こっちの方が大事だわ。教えてくれるんでしょう?」
彼は返事のかわりに、手を引っ張って山羊の上へ乗らせられた。
「それでこそ、サーチェスの娘。カッグウィール家の者だ」
山羊は彼の指示通り、走りはじめた。
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