手を伸ばした。真っ黒な髪がたなびいている場所へ、顔を寄せる。次の瞬間、にぶい衝撃とともに(セイ)は鳥人の背中に着地していた。
「つかまった?」
 その問いに、うなずくとちょっと我慢して、と口の中に何かを含むよう指示される。彼女の腰についたポーチからそれを出すと、口へ入れた。
「いくよ」
 その途端、さらに上空へと昇っていく。そのうち、雨露(ウロ)のふところから移ったのを知ったのか、鳥人(チュイレン)たちが追いかけてくるのが見えた。
「きゃっ……」
「大丈夫、それより口の中からそれ出さないでよ」
 飛んでいける限界まで昇りきると、いきなり急降下を始めた。耳元で風を切る音が聞こえる。むしろそれしか聞こえない。
 目の前に水が迫っている。海だ。けれど、彼女は速度をゆるめない。そのまま、落ちていく。
「海へとびこんでしまいマス!」
 必死にそう言うが、聞こえているのか聞こえていないのか、ともかく速度は落ちなかった。
 大きな音を立てて、海中へと飛び込む。彼女はそのまま空を飛ぶように泳いだ。
(――くるしイ)
 ぼこぼこと息を吐き出しながらそう伝えると、口に入れてあるものをかんで、と言われる。そのとおりにすれば、少し楽になった。
 上を見ると、かすかに鳥人たちが惑っている姿が見える。彼らは水の中に入ってこれないようだ。ほっとして、口から息を吐いた。ぽこぽこと空気の泡が上がっていく。
 下へ目を向けると、岩のようなもので造られた建物がたくさん見えた。その一つをゆびさす。
「あそこ、だれが住んでいるんデスカ?」
「あそこは魚人たちが住んでいるんだよ」
 魚人は上半身が人で下半身が魚の尾をもつ種族をいうらしい。庭らしきところは、今は静かだった。それより、国の中を通っていいのかと首をかしげる。
「魚人たちの国は少しずつ移動してるから。その時彼らの領域じゃないところなら、通っても大丈夫」
 心を読まれたような言葉をかけられる。
「じゃあ、あそこは?」
「あそこ――」
 その建物たちと共に、透き通った石で造られた大きな建物が建っていた。先ほどの岩の建物で一番大きな……いわゆる王宮より、大きい。すこし建物の群から離れたところに建っていた。
「……あそこにはね、えらい方が住んでいる」
 言葉を探すように、そう答えがきた。
(そうデスヨネ。あんなにキレイな建物なんデスカラ、えらい方が住んでるんデスネ)
 それを後ろに見ながら、海の中を進んでいく。口に入れた何かがだんだん小さくなっていく。だからか、不思議なぐらい息が続いていた。
「あがるよ」
 短く言われ、その言葉を理解する前に、また上昇する。
 大きな音をたて、空中へと飛び出した。
「ぷっはぁ!」
 思わず口の中のものを吐き出してしまう。それは海へと落ちていった。
「スミマセン……」
「いいよ、もうあれ要らないから」
 ゆっくり空を横切っていく。後ろを振り返ってみたが、鳥人は一人も見えない。
(まけたんデスネ)
 ほっとして、濡れた髪の毛を額から剥がした。
「雨露さんは、大丈夫デショウカ?」
「大丈夫だろうよ」
 意外と強いからあいつ、と答えられる。
「――ひとつ、聞いて良いデスカ?」
 ずっと疑問に思っていたことを訊ねてみた。
「どうして雨露さんとあなたはワタシを助けてくれたのデスカ?」
 するとははと楽しそうに笑った。あたしは雨露の友達だけど、と前置きがある。
「雨露はね、君のお姉さん」
「お姉サン……?」
「そう。少し前まで君という妹がいることを知らなかったお姉さん。あいつはさそれ知った時、すごく喜んだ」
 ずっと姉妹が欲しいって言っていたからね、と続く。
「だからあいつと敵対した。君を渡さないために」
 逃げなきゃだめだよ、と言われ、ゆっくりうなずいた。
「ワタシは狙われているのデスネ。だから、お姉サンの雨露さんとその友達のあなたが助けてくれた。そうなのデスネ」
 うなずいたのを見た。ぎゅっとつかまる手の力を強める。
「ありがとうございマス。雨露さん……お姉さんにも、言いマス」
「うん、そうしてやって。喜ぶよ」
 やがて陸が見えた。みるみるうちにそれは近づいてきて、目を下に向けると、そこには水ではなく土が見えた。
「ここは、サイヒ国西方州。鳥人たちはだいたいここらへんに住んでる」
 そう言われて下を見ると、高いところを好む鳥人らしい階数をたくさん重ねた塔のような建物が多く見られた。その多くは土を固めて作られていた。周りには森や果樹園が見て取れる。
「おいしそうデスネ」
「君ん家にも、大きな果樹園があったよ。たくさん食べればいい」
 そう言ってから、一つの木々の集まりへと降りていく。そのまんなかにある大きな木の上へ、とまった。
「――ここはどこデスカ?」
「ここはあたしらの待ち合わせ場所。あいつの家が持ってる森なんだけど」
 よいしょ、と声を出しながら、晶を下ろしてくれる。それからぬれた衣服をしぼり始めた。ぽたぽたと大きなしずくが落ちていく。晶もまねてスカートの裾をしぼる。同じように水がたれた。
「あ、雨露」
 朱の上着をぬいで枝に干しているところに、彼女は現われた。晶を見るなり、走りよってくる。
「晶、大丈夫だった? 怪我はしてない?」
「ハイ、大丈夫デス」
 笑みを浮かべて言った。頭も下げる。ぬれた髪がたれてきた。
「お姉さん、どうもありがとうございマシタ」
 驚いたように眼を見張ってから、友達の方を見た。彼女がうなずくのを見て、どういたしましてと返事が返ってきた。
「雨露、これで足りるか?」
 彼女の後ろから、鳥人の男が現われる。五十をすぎたぐらいだろう。髪の毛にはちらほらと白髪が見え始め、目尻や口元にもしわが刻まれている。彼は手にタオルを持っていた。
「あ、ありがとう」
 雨露がそのタオルを受け取りに行く。二人が並んでいるところを見ると、無性にそこにまじりたくなった。思わず二人のところへ歩いていってしまう。
「はい。ちゃんと乾かすんだよ」
 晶に気付いた男は優しく頭の上にタオルをのせてきた。そのまま髪の水気をふきとってくれる。なされるままにしてから、タオルの下から彼を観察した。
 黒い髪に白髪が少し、瞳も黒い。その黒は雨露の半分ととても似ていた。もう半分の茶が母ゆずりだとすれば――。
「……お父サン?」
「うん」
 問いかけてみると、嬉しそうな返事が返ってきた。そのままわしわしと撫でられる。
「お母さんに会いに来たんだろう? 今は仕事で家にいないが、明日には帰ってくる。それまでゆっくりしよう、な」
 思いっきりうなずく。母以外の家族に会えたのは、すごく嬉しかった。優しい言葉をかけてもらえて、喜びがあふれた。
 そして、もうすぐ母親と会える喜びでいっぱいだった。
 
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