すずしい風が吹いていた。太陽が森の向こう、海の中へと沈んでいく。空は青から赤へ色を変えていた。
 家屋の屋上にあがると、それらが姿をあらわにしているのが見えた。(セイ)はあきずその場に腰をおろして、その様子を長い間見ていた。
 後ろから肩を叩かれて振り向く。(リン)が立っている。
「お母さん?」
「晶、ちょっと良い?」
 その言葉に首をたてに振る。すると彼女はとなりに座ってきた。
雨露(ウロ)から聞いたわ。襲われたって……」
 ぶるっと身体を震わせる。後ろから追いかけてくるたくさんの鳥、海へと飛び込んだ感触――それらが思いに上ってきた。
「そのことを話しておこうと思ったの。何か聞いてる?」
 額にしわを寄せた。途切れ途切れに言葉をつむぐ。
「……めずらしい、鳥を集めてル、人がイテ――ワタシはめずらしいカラ、おそわれたデスカ」
「そう。その人の名前はシェイというの」
 シェイ、と反すうする。林はこちらを向いた。話題がかわる。
「このサイヒ国(トソム・ディオバ)のことは聞いている?」
 今度は首を横に振る。
サイヒ国(トソム・ディオバ)は新しく出来た種族や領土をなくした種族が住まう唯一多種族の国。鳥人(チュイレン)の場合、後の種族の類に入る」
 後、というと領土をなくしたということになる。どうしてなのだろう、と続きを待った。
「十五年前まで、私たちはシシ国(ノイル)の北方、今のロウ国(フォルー)のある辺りに住んでいた。それが狼頭人(ウルフマン)に攻められて……」
 つらそうな表情を浮かべている。晶はそれを見上げて言う。
狼頭人(ウルフマン)、怖かったデスカ?」
「怖い、なんてものじゃなかった。少し油断すればすぐ食われた。鳥の姿をとっていなくても、そのまま――」
 晶も怖くなって、きゅっと目をつぶった。
「それで領土を狼頭人(ウルフマン)に明け渡して、私たちはしかたなくここサイヒ国(トソム・ディオバ)へ来た。船で行き来できるところに有翼人がいたし」
 そのころもう一つ問題を抱えていてね、と話が続いていく。
「領土、というものはあるけれど、領空という言葉はなかった。だから空の飛べる者たちは比較的自由に飛び回ってたんだけど――やっぱり自国の上を飛び回られるのは心中穏やかじゃないんでしょうね。苦情があちこちから届くようになった」
「それで、どうしたんデスカ?」
 先を急かすと、うん今も続行中なんだけどね、と前置きして続けた。
「それを処理する団体を有翼人のハン国(グニルブ)と一緒につくって、処理に当たった。私たち鳥人はサイヒ国(トソム・ディオバ)に永住することを、有翼人は世界の郵便を扱うことを条件にひとつつひとつ国を説得していった。大抵の国はこれで納得してくれる」
 嬉しそうにそう笑った。
「どれぐらいの国が、納得してくれてるんデスカ?」
「そうね、ここ辺りの国はだいたい納得してくれたかなぁ」
 でも――、と表情が暗くなった。
「ひとつ、最初の方から説得しているのに、妥協しない国があるの」
 ぴんと来て、その国の名前を口にあげる。林はそれに肯定を返した。
「その国――ロウ国(フォルー)は私たちから領土をうばった種族のもの。さんざんしいたげようとしているのだわ」
 結局未だに説得できていない、と悔しそうに言う。
「その時、その説得する団体を自分にあずけてくれ、と言い出した男がいたの。彼は鳥人でも有翼人でもない。どこの種族かも分からない者だった。私たちは最初のうち疑っていたけど、違う国での説得を今までと比べて短時間で行うことが出来たから、結局はその男にあずけた」
 その男がシェイですカ、と訊ねた。
「その男――シェイは結局その団体を自分の物にしてしまった。今はその説得も行われていない状況よ。それどころか」
 ちらり、と晶を見る。
「自分の趣味……収集僻の満足のために用いている。あなたをおそったりしたようにね」
「――シェイはワタシにどんな価値を見出したのデスカ?」
 十年間も卵のなかで過ごしていたというのは聞いた。でもそれだけで、そんなにめずらしがることがあるのだろうか。
 晶のその質問に、林は笑って答えた。
「晶、あなた自身が思ってるより大きな価値があるのよ。大きく分けて二つの理由で」
 シェイはどんなめずらしい者でも集めるんだけれど、と前置きしてから続けた。
「一つは、あなたが十年間卵のなかにいたこと。あなたは将来大切な役目に就く、そのことが決まってる。十年はその準備期間だった」
「役目……デスカ?」
 聞き返すと、眉を寄せる。
「役目、という言い方は違うかもしれないわね。なんと言えばいいのか分からない。でもしかるべき時が来れば、白公と名乗る女性が来る。あなたを迎えにくるの。そしてあなたはここを離れ、遠いところへと旅立つ」
 それは確実なこと、と良い添えた。
「お母さんと離れるのデスカ?」
「そうね。さみしいことだけど、かわりにあなたには新しい家族が出来る。だから大丈夫。それに私もお父さんも雨露も、ずっとここにいるのだから、会いにこれば大丈夫よ」
 そして、と話をかえる。
「もう一つの理由。これはこの世界で大きな役目を背負ってるから」
 役目、という言葉を反すうする。
「これは役目ね。責務というべきなのかしら。避けたい、でも避けられない役目」
「――もしかして、その役目を避けるためにワタシを雪山に置いたのデスカ?」
 そうよ、という返事を聞いて納得する。こういう予感はあったのだけど、と林は話しはじめた。
「それでもあなたはここへ帰ってきた。運命をかえることはできないのね。だから私はあなたに明かすわ」
 ふぅっと息を吐いていた。心なしか緊張しているようにみえる。それを受けて、晶もかしこまって、次の言葉をまった。
「その役目とは――」
 その時だった。ばさばさと翼のはためく音が聞こえる。話を中断して、林が辺りを見回した。
「……シェイがくるわ」
 彼女が指差した方を晶も見る。赤くなっていた空は、いつのまにか暗くなっていた。否、暗くなった訳ではない。その空を塞ぐようにたくさんの者が空を飛んできているのだ。
「お母さん、晶! 早く中に入って!!」
 同じようにこの異変に気付いたのだろう。下から雨露の呼ぶ声が聞こえた。
 それを受けて、階下へと潜る。途中の窓から見た空は、既に真っ黒だった。
 晶はその風景にかつてない震えを感じたのだった。

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