シン国(トセロフ)へと少し戻り、今度は森の深い方へと進んでいく。鬱蒼(うっそう)として、光も枝葉にさえぎられて、地まで届いてこない。
 しばらくすると、奥に今までと違う木々の集団が見えた。木が密集しているのに、光がさんさんと射している。不思議なことに、その奥に進もうとしても、無理だった。気付くと、さっき立っていた場所にまたいるのだ。
「ここが“真実の森(エソペア・ティウク・シェンルティス)”……?」
 そうじゃよ、と風磨(フウマ)が返しながら、そのなかの一本の木の洞に鍵をさす。
 きぃんと金属をこするような音がしてから、木々たちが揺れた。そうして、入口ができる。
「さあ、お入り」
 風磨が先に足を踏み出す。ブレイヴもそれにならった。彼らが森の中へと入っていくのを見て、ワーチも足を進めた。さっきと違い、奥へと進んでいく。
 ふと振り返ると、フーマは恐れたように、まだ入ってこない。どうしたの、と声をかけようとするが、ブレイヴが君はそこでいい、と先に告げた。フーマは戸惑いながらも、一瞬ほっとした表情を見せた。
「さあ、はじめようかの」
 風磨は、鍵で周りの木々を叩いていく。そうすると、周りでざわめきが起こり始めた。だんだん大きくなっていく。
(……痛い)
 しばらくすると、額の辺りが熱く、痛くなってきた。思わず頭を抱えて、うずくまる。おさまるどころか、だんだん強くなっていく。
 ブレイヴがずいぶん遠くに見える。それでも彼に訴えた。
「痛い、頭が痛いわ」
「我慢して。これからもっと身体中が痛くなってくる」
 そう言われた通りだった。先に指先、だんだん全身にとしびれと痛みが広がっていく。
 何も見えなくなってきた。周りは木々ばかりだ。それらは琥珀色に輝いているように見える。
 いたいいたいいたい――と言葉をくり返す。もうその意味は分からない。ただ唱えているだけだ。
 そのうち、皮が剥がされるような痛みが加わってきた。手の先の感覚はなくなっている。気が遠くなりかけるが、すぐに引き戻される。
 それのくり返し。もう他に何も感じられないほど、痛みが激しくなっていく。
 うずくまったまま、前へ倒れこんだ。やわらかいだろう草の感触も分からない。
 痛みの感覚も、痛すぎてなくなってしまった。目がうつろに半開きになる。気が失えず、視界には橙がかった黄の光しか見えない。
「良く耐えたの。終わりだ」
 遠くで風磨が木の幹をカツンと叩いた音がした。それを聞いてから、痛みが和らいでいく。それと共に、身体の力が抜けていく。そっと眼を閉じた。草が優しく頬を包んでくれるのがわかる。
 背中に掌を感じる。薄目を開けると、ブレイヴが立っていた。
「大丈夫?」
 大丈夫じゃない、と返そうとしたけど、それもおっくうだった。ゆっくり身を起こす。
「……信じられない」
 焦点の定まらなかった瞳がはっきりと映し出していくそれを、じっと見つめた。それは自分の掌だった。泥を塗ったような黒い肌は消え、真っ白な指へと変化している。なにがあったのかと顔を動かすと、真っ黒で重たいはずの髪が光を通した葉のような緑に変わっていた。
 カーーンと音がして、額から何かがはがれ落ちた感覚があった。おそるおそる、拾い上げる。黒い表面に、白く月と星のような光が入っている。“夜晶(トトフギン エノトス)”と呼ばれるその石は――。
「……夜晶人(カーバンクル)の額を飾る、石……」
 ワーチ自身がおのれを夜晶人(カーバンクル)と信じる要だった石は、額から落ちた。
 はっと頭をあげて、風磨に問う。
「どういうことなの!? どうして石が落ちたの!?」
「言ったであろう? ここは真実の森、すべてはおのれの本当の姿と向かい合う、とな」
 眉をひそめた。口を閉じて、考える。
(じゃあ、わたしは夜晶人(カーバンクル)じゃないってこと?)
 掌にのせた石を見つめる。ブレイヴが後ろから言いかけた。
「ワーチ、君は――」
「分かった」
 今度は覚悟を持って、手を動かす。指先は耳殻へと向かう。そっとふれたそれは、今までと違い横へと細長く伸びていた。
「わたしは、森精人(エルフ)なのね?」
 振り返ってブレイヴを見つめる。彼は何も言わなかった。そのことが真実だと証明していた。そのまま口を動かす。
「だから、わたしはシン国(トセロフ)に住んでいたのね?」
 今度はうなずきを得た。とても納得がいった。けれども、また疑問が浮かび上がってくる。
「――じゃあ、どうしてわたしは夜晶人と偽られていたの?」
 夜晶を握りしめた。母親……サーチェスがくりかえし夜晶人と口に出していたことを思い出す。
 ブレイヴと風磨は見合ってから、口を開いた。
「……おぬしは逃げなければいけなかった。サーチェスはこの国から逃亡することにした。おぬしの父親も、共に逃げようとした。しかしそれはたやすいことではなかったのじゃ」
 国を退去すればいい話ではないのか、と首をかしげると、それが伝わったのか付け加えられた。
「本来、森精人というのは森の中で一生を終えるものじゃ。国から出るなど、本当に差し迫った事情の持ち主しかおらぬ」
 その先は分かったような気がする。遠く昔の記憶が語り掛けてくるようだった。
「どの国に行っても、好奇の目にさらされる。そういうことね?」
 嘲笑とあざけりしか与えられない毎日があったのだ。風磨曰く、中には入国すること自体を拒否してくる国もあるらしい。
「その点、夜晶人は好都合なのじゃよ」
 風磨が近づいてきて、ワーチの手に乗っている石を撫でた。
「夜晶人は、種族全体の問題を持っている。いくら禁制がしかれたというても、それは表向きの話。裏では未だに、夜晶人の水晶狩りは続いておる。それから逃れようと、旅人として確たる所在をもたない夜晶人が全体の多くをしめたというのじゃ」
 それにの、と続きがあった。
「夜晶人には夜晶人独特の性質というものがあっての。それらの近くにある鉱物はすべて力を増すというじゃ。保護対象として定められている夜晶人を入国し保護すればその見返しがある。だから、自国の石の価値を上げようと、むしろこぞって夜晶人は招かれる立場にあった。だから、サーチェスはおぬしと自分を夜晶人へと変化させたのじゃよ」
 むずかしい話になってきたが、ある程度は分かった。だけど、謎はまだ残っていた。
「わたしが夜晶人と偽られてた理由は分かったわ。でも、そもそもどうして逃げなくちゃいけなくなったの?」
 途端、すらすらと言葉を並べていた風磨の口がとまった。言うか言わざるかを迷っているようだった。
「ねぇ、どうしてなの? わたしに言えないような事情なの?」
 詰め寄ると、逃げるように眼を泳がせる。さ迷った視線はそのままブレイヴの方へ向けられた。
 その視線を受けたブレイヴは、ひとつため息をついてから、ワーチの方へ向き直った。
「それは、ワーチ。君が“いけにえ”だからだよ」
 いけにえ。
 いきなりの物騒な単語に、言葉が途切れた。
 それは、深く重くワーチの胸の中に落ちていった。

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