背筋が凍ったような気がした。哄笑とも嘲笑ともいわんばかりの笑い声が、響いている。
 叶子(ユエズ)(グオ)の姿を見たことがなかった。けれど、こいつが父親を殺したのだと、納得がいった。それも草木をひねって摘み取るように。
 そうして見つめていた過の背の方から、石の刃が放たれた。KEN(ケン)が放ったものだった。けれど、それは過が見ないまま(ストーム)というらしい烈風の精霊に出された命令で止められた。ばらばらと地へ落ちていく。
「もっと穏便にいこうじゃないか、KEN(ケン)
「そうだな、お前がコランダム女王にかけた術をとくならな」
 KEN(ケン)が握っていた手を開くと、そこには先ほどとは尖り方が違う石の刃が数多くあった。カトリィナがそれを鋭く放つ手伝いをする。
KEN(ケン)は“力の用い手”――つまり攻撃の(すべ)を身につけた術師よ」
 いつのまにか隣に来ていたRAIN(レイン)がそう耳打ちした。
「四方に散って。風の渦の目に入り込んだら、一網打尽だわ」
 振り向くと、彼女も小物入れから種をいくつか出し、地にまいていた。
生えて(ツォルプス)
 言葉と共に力強く生えたのは、蔓性の植物だった。
過を拘束せよ。汝に与える(ニアルトゥセル グオ エビグ)
 風音を切りながら、過の方へと伸びていく。けれど、それは途中で(ストーム)に刻み込まれた。ばらばらと蔦は落ちる。
「っ、だめか……」
 叶子は辺りを見回した。それぞれが過を攻撃している。けれどすべて嵐風に止められ、過は笑っているだけだ。
(過の要は、(ストーム)だ。彼を押さえれば……)
 虎の姿へと変わる。彼らの周りをぐるぐる回った。そしてそれぞれがくりだす攻撃への反応を確かめた。
 GOU(ゴウ)からの攻撃に、一番圧されているようだった。それを感じて、GOUの後ろへつく。
「状況はどう?」
「だめだな。KENの後につづけて攻撃をしかけているが、なかなか立ち直りが早い」
 そういうなり、彼は土を盛り上がらせた。が、すぐに風がこちらへと押し流してしまう。
「おれ、GOUの攻撃のあと、(ストーム)を押さえるためにいくから」
 そう耳打ちしてから周りを見回した。再び、KENが石の刃――先ほどよりずいぶん大きいが――を放つと、GOUも大量の土を上から降らした。それを合図に、前へと飛び出す。がっと手応えを感じて、それを地面に押さえつける。すると、苦しそうな声がもれた。
(っ、やった――がっ)
 いきなり首を掴まれた。その手は人のものだった。虎の姿をしているときは、重たいはずなのに、その者はかるがると叶子を持ち上げた。
「我が精霊に手をだすとは、いい盲点だが。我を忘れてもらっては困るな」
 過は楽しそうに笑いながら、その手に力を込められる。
(ストーム)、大丈夫か」
『っ……すみませ』
 いやいい、と過が言うと、起き上がった嵐が背後から飛んできた石の刃と蔦を切り裂きながらお辞儀した。
「さて、っと」
 せめてもと思い、前足をぶんっと振る。過はとっさによけたが、爪先が当たって、頬から血が滲む。
 叶子をつかむのと逆の手をその頬にやり、血を確認してから、その手を握りしめる。小さく言葉がもれた。
「――重くなれ(ニアルトゥス)
 ずん、と音がしたような気がした。耳の中がぐわんわんと鳴っている。
 だんだん身体が重くなっていくような気がする。いや、身体が重いのではない。その上に何かが乗っているような感覚があるのだ。
「気圧を上げるよう命令したか……」
 うめくように、GOUがもらした。彼は膝をついて、ふんばっている。
 他の二人も、それぞれに耐えようとしているが、そのうちに地へとはいつくばった。
「もう終わりだな」
 さらに重圧がかかってくる。手を放して欲しいと感じた。このままでは首の骨が折れてしまいそうだった。
 そうおもったころに、いきなり手を放された。もう身体に込める力も残っておらず、地にへばりつく形になった。
 過が周りを見回す。全員が倒れているのを確認してから、もうよいと嵐に伝える。すると途端に苦しさがなくなり、軽くなった。
「我の勝ち、か」
 ため息をつくように笑みを浮かべて、その場から立ち去ろうとする。思わずその服の裾を掴んだ。過の動きが止まる。
「っ、待て……」
 彼は無表情に、もう片方の足でそれを払いのけた。
「我は、後悔などしない。ショウ国(ラトスイルク)のコランダム女王の件も虎人の族長の件も、この世界が保たれるためなら、必要な悪だ」
 吐き捨てるような言葉のあとに、一言。
「こんな面白い世界が保たれるためなら、我は悪に染まろうがどうなろうが関係ないな」
 GOUの方を向いた。
「お前はそう思わないんだったな、GOU? しかし、その姿を見てみれば一目瞭然だろう? 綺麗事だけじゃあ、世界は成り立たない」
 違うか? という過の言葉に、GOUは答えを返さず沈黙した。
 言っている言葉の意味がよく分からない。けれど、過はあざけっているのだということは分かった。
 無性に腹が立つ。けれど、反撃する余力は少しもなかった。
 過は、返ってこない答えに焦れたのか、その場から遠く離れていく。
 その後ろ姿を恨めしく見つめながら、叶子は気を失った。


 身体をゆすられ、眼をゆっくり開けると、RAINが立っていた。
「起きて、くれる?」
 それにうなずいて、身体を起こす。節々が――特に首が痛んだ。けれど、それは言わない。
 今の状況では馬には乗れないので、ひきながら歩いた。最寄りの村まで戻る為だ。
 だれも何も話さなかった。あの圧力のかわりに今は沈黙が重くのしかかっていた。
 ただ胸中に何を思うかは、皆分かっていた。
 過を捕らえられなかった。それひとつだ。
 今からは身体を少なくとも無理なく動けるまで、戻さなければいけない。
 それにどれだけの時間がかかるか、予測できなかった。
 そしてその時間の分だけ、過は野放しになる。
 どれだけの罪がどれだけの頻度で行われるのか、それは知らない。それでもまた罪が重ねられるかもしれない。それを思うと、自責したくなる。
 それを思いとどめて、次へと気持ちを奮いたたす。
 命があるのだ。次がある。
 そう思って、ずるずると落ちていきそうな気持ちを押しとどめた。
 こうした沈黙のなか、夜はふけていった。

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