目の前は白の世界だった。
あの時と同じだった。
あの時は、母親が晶の元を立ち去った。――じゃあ、次は。
「っ、」
喉を詰まらせた。目を大きく見開いた。
視界はどんどん白くなっていく。あの雪山であるように。
震えがあがってきた。また失う、また失う。ただそれだけが頭の中を行き巡った。
(もうひとりは、イヤ……誰もいなくなってしまうのは、イヤ……)
その思いは、口から叫び声となって、ほとばしった。
「やめテ――――――!!」
舞い落ちる白い羽毛が、激しさを増して飛ぶ。誰もかもがそれを鋭い痛みとして感じた。
ほとばしった声は、遠くまで反響していく。何もかもが、動きをとめた。羽はすべてが落ちた。青い空が見えた。
彼女の視線が空をさまよった。そしてひとりの男の前で止まる。フードを目深に被っていたが、誰かすぐに分かった。鋭い視線で、彼を射る。
「シェイ」
低く響く声が満ちた。嬉しさと戸惑いの混じる表情を浮かべているシェイに近づく。
「止めなサイ。今すぐ止めなサイ。自分のいるべき場所に、戻りなサイ!」
語気も強く、叩き付けられる。それでもシェイは動かない。その姿を見て、晶は叫ぶように言葉を吐き出した。
「これ以上ワタシから奪わないデ!!」
晶は知らない。彼らは動かないのではなく、動けないことを。
言葉にかかった圧力が、彼らの動きをすべて止めた。
そしていつ変わったのか分からないその姿に畏怖していた。
青い瞳は、濃い紫へ。茶の髪は、輝く金へ。そして耳元にある翼を失い、かわりに人と同じ耳殻が備わっていた。
額には丸い水晶。中に十字が描かれており、中心にさらに小さな石が見える。
そして人に気圧される感覚を抱かせるほどの、力をもった雰囲気。
すべてが以前の晶と様変わりしている。
「いケ! 戻レ! ワタシの前に、二度と現われるナ!」
咆哮のように放たれた言葉に、やっと動き始める。すべてが、逃走の意を見せていた。
シェイだけはその場にへたり込み、これは自分の手に負えない、と呟く。
それを片耳で聞きながら、母親の林の元へと駆け寄る。彼女は倒れていた。周りに傷を負った姉の雨露と父親が集っていた。
「お母さんハ……」
ゆっくり、雨露が首を横に振った。そのまま彼女はくずれるように、座り込む。顔を伏せていたけれど、地面に落ちた跡で涙の存在が分かった。
晶は信じられなくて、母親の身に手を伸ばす。生き物にはない冷たさが伝わってきて、すぐに手を戻した。
見開いた瞳が、乾いていくのが分かる。それを潤す涙もこぼれてこない。
「――お母さん……」
林の頭の横に、座り込む。あれほど会いたいと思いをはせた母親の顔を見つめる。
白いのが雑じり始めた髪、皺が小さく刻まれた目尻、優しく上がった口角……。
遠く雪山から長い距離と時間をかけて辿り着いた。それほどまでに求めた母親のぬくもりは、そうして求めた自分のせいで失われた。
雨露と父親は何も言わない。ただ涙をあふれさせているだけ。それが責められているような錯覚を起こしていた。
「……ワタシが来なけれバ、ワタシがいなけれバ――」
ゆっくり立ち上がる。ふらふらと左右に揺れるが、気にしない。
「……晶」
戸惑いの混じる声で呼びかけられた。けれど答える気になれなかった。
母親は自分のせいで、亡くなった。
自分が帰ってこなければ、死ななかったのに。
悲しみと悔やみがのしかかってきた背中を小さくして、家の中へと戻った。
すっと父親が動いた。涙でぬれた顔を上げて、雨露はその姿を目で追う。
いまだに座り込んでいたシェイに歩み寄ると、その襟首を掴んで立ち上がらせる。そのまま持ち上げつづけると、足が浮いた。
「いいかげんにしろ。お前のところの損害は知らない。何人、何羽死のうが、それはそちらの勝手だ。だが、おのれの欲のために、他人を巻き込むな」
低く静かに発せられた。けれど怒気をたくさん含んでいた。
「……家族を亡くす者がいる、それぐらい分かるだろう。その残された者の気持ちも」
ちらりと家の方を見た。シェイも雨露もそれにならった。そこには見えないが、晶がいる。
「晶が言った。戻れ、と」
それに従うか、と問いと断言の間の発音で放たれた言葉に、すぐさまうなずきを何度も返した。そのまま手を放すと、音を立ててシェイが地面に張りつく。
「雨露、林を葬ってやろう」
家の裏のほうへと、いったん消えていく。戻ってきた父親は香木を抱えてきた。それを決められたように、並べた。
「――雨露」
最後の一本を彼女に投げ渡す。受け取ってしばらく見つめてから、最後の場所に置いた。
「葬送を行う。火を貸してくれ」
周りに呼びかけると、外側に置かれた一本に、炎が現われた。火の持ち主が姿を現して、頭を下げる。
螺旋状に炎が回っていき、火の勢いは激しくなる。やがて、清々しい香りとともに煙が空へ上っていく。
香木の中で、だんだん炎につつまれていく母親を、雨露はじっと見つめていた。
晶はそっと窓に備えられた木戸を開けて、外を見た。一筋の煙がすっきりとした香りをまといながら、空へのびている。
それが何か教えられなかったけれど、なんとなく分かっていた。これは、葬送の煙だ。
食い入るように見つめ続ける。煙は上り続けている。
一瞬、その煙の色が様変わりした。それを見届けると、晶はゆっくり木戸を閉めてから、ベッドへと顔をうずめた。
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