宿から窓の外を見ていた。月が淡く細い線を空に描いている。その細い線から、GOU(ゴウ)叶子(ユエズ)(グオ)の頬につけた傷を思い出す。思えば、あれだけが過につけることのできた傷だ。それは力の差を思い知らせてくる。
「GOU、食事だ」
 扉の向こうからKEN(ケン)が呼びかけたのを機に、窓から離れた。ついでにカーテンも閉めていく。音を立てて扉を開ければ、彼はすでに階段を降り始めていて、こちらを手招きしていた。走り寄ってその横へつく。
「あれから、十日になるな」
 ぽつ、ともらされた言葉に、無言で首を縦に振る。痛みや傷は精霊たちの助けを得て、ほどほどまでには回復していた。だけど、立ち直ってはいなかった。もう一度行ったところで、どうなる。また返り討ちされるだけだという思いが、四人を支配している。
 階下におりていくと、酒場になっている食堂は酒の匂いで満ちていた。その端のつくえに叶子とRAIN(レイン)がついている。
「すまない、遅れたか」
「いやいいよ。この後、予定があるわけじゃないし」
 叶子が笑って言う。けれどその笑顔はかたく感じられた。RAINが振り返って、店主に料理と酒を頼む。
 にこやかな表情で向かってきた店主がつくえに椀に入った麦粥と揚げ物、そして麦酒と白酒を置いていく。思い思いに、粥の椀と酒を持った。ただ無言でそれらを空にする。
 GOUは勘定を払おうとして、懐に手を入れた。財布の前に指先が硬いものに当たった。それが何か分かっている。ゆっくりそれを避け、目当ての財布を取り出した。
 勘定を払うと、湯を張るので風呂にしてほしいと頼まれる。RAINを先に遣った。
 部屋に帰って、もう一度懐に手を伸ばす。先ほど触れた硬いものを取り出した。鈴の形をしたそれは、国を出る前に義姉のREATが差し出したもの。
(避けられない、のか)
 できることならやらずに済みたかったな、と呟いてから、KENの部屋へと向かった。


 KENは部屋のベッドの上に座っていた。手の中の鈴状のものを差し出す。
「これ何だ?」
「封印具だ」
 短く答えると、KENは意味が分からなかったとでも言うように、首をかしげた。
 封印具。それは何かに精霊の力を借りて封印を施す際に、必要不可欠とするものである。その封印はこれにおいて、象徴されるものとなり、これを壊すことで強制的にも封印を解くことができるものだ。その封印の種類によって、封印具の種類も違ってくる。
「これは鈴だろ?」
 左右へと揺らす。しかし音は出ない。封印が施されている証拠だ。
「ってことは“色封印”か」
 口を開かずに首を傾ぐことで是を示す。濃い色で全体を包むことでそれを封印する術を“色封印”と呼ぶのだ。
「なあ、これは誰の封印具なんだ」
「私のだ」
 ひとくくりにしていた髪を解くと、黒いそれが揺れる。その一房を取って、彼の方へと持ち上げる。
「この髪色で、ショウ国(ラトスイルク)の王族の養子になど、入れるはずがないだろう。私は力を封印しているんだ」
 正しく用いれば強大なものとなる力も、誤れば禍の種となる。GOUが五歳でこちらにやってきた時、REATはそう考えた。だからこそ“色”で力の一部を封じることにしたのだ。
 一度ショウ国(ラトスイルク)の皆の前に出た後、黒を重ね力をとじた。この鈴を用いて。
 それをこちらに差し出したということ。REATはこのままでは過を捕らえることなど不可能だと分かっていたのだろう。
「どうするんだよ、その封印具」
「――封印を、解こうと思う」
 返事を待たずに、扉へと向かう。慌てたようにKENがベッドから下りた。
「ちょっ待てよ」
 KENに肩を掴まれる。振り向いた。
「これ解くと、やばいんじゃないのか……」
 過を滅ぼすのは、良い。けれどそれでこちらも滅びては意味がない。そういうことを言っているのだと分かった。
「私ももう五歳の時のまだ分別のついていない幼子ではない。だからこそ、REATは私にこれを預けたのだと思う」
 母親の名を出すと、無理矢理納得しようとしている表情を示す。少し待ってから、歩を進めた。
 KENは躊躇するようにたたらを踏んでから、GOUの隣へと並んだ。


 町から出て少し行ったところの川辺に腰を下ろす。向かいに座ったKENが封印具の鈴を目の前に置いた。そして口を開く。
「其は我が精霊の力を借りて、封印しし彼の者。再び其を解き放たん」
 朗々と響いた声に、精霊たちが集まってくるのを感じる。
「彼の者の力、此れにて封印を徴す。我が力にて打ち砕かず。精霊の力を借り、其を解き放たん」
 鈴を持ち上げると、そこへ手が伸びてくる。鈴は風の精霊達が打ち砕くように粉々にした。
 KENはその粉を川へと流す。すると今度は川水の精霊達がGOUの方へとそれを運んだ。
 GOUは手にしていた土の器にそれの混じった水を汲み、頭からかぶる。水はすぐに落ちず、ゆっくりと周りをつつむように流れた。
 その流れにしたがって、水はだんだん暗く色を変えていく。そして代わりにGOUの髪色が変化していく。漆黒だったそれは、濃い銀へと。
 その変化は髪だけではない。瞳の色も同じように、変化した。肌も少し白くなっている。
 水の滴りが終わったあと、火の精霊達が濡れた彼を乾かす。身体から水分が抜けると、GOUは持っていた器を地面に叩き付ける。そうして土へと返した。
 封印はそうして解かれた。

 
 宿へと戻ると、酒場兼食堂で叶子とRAINが座っていた。近づけば、彼らも気付く。そして眼を見開いた。
「ちょ、なにそれ」
 RAINが戸惑うように言葉を紡ぐ。彼女は腰を浮かしかけていた。
「もしかして“色封印”……?」
 いきなりの当たりを口にした彼女に驚いた。封印の術はそれほど一般的なものでもないのに。
 けれども叶子に改めて視線を遣った時、その因に気付いた。ゆっくりと答える。
「確かに私は“色封印”で力を封じていた」
 RAINが椅子に身体を戻し預ける。ため息をついたところへ言葉を続けた。
「だけど、君もしているんだろう」
 ちらりと叶子を見た。RAINは慌てたようにもう一度立ち上がった。でももう遅い。
「叶子に“色封印”を」
 KENが後ろから、何といった、と聞き返してくる。RAINは否定の言葉を口に上らせている。けれどGOUはじっと訳が分からず置いてかれたような表情を浮かべた叶子を見つめていた。




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